ゲーリー・ウィーバー (Gary Weaver)
©Ralph A. Clevenger/CORBIS
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ゲーリー・ウィーバーはアメリカン大学(ワシントン)国際コミュニケーション学部・国際関係研究科教授。
米国人の行動や社会政策を理解するためには、米国の文化を知ることが不可欠である。多くの言語において文化とは、アートや音楽、歴史、文学を指す。こうしたものは、米国では文化の所産と見なされる。われわれの文化の定義はもっと人類学的だ。米国英語で「文化」とは、世代から世代へ学習を通して伝えられる、人間のある集団の生き方という意味にすぎない。そこには、米国人の大半が共有している基本的な信念、価値観、思考様式、世界観なども含まれる。そうした文化の外面的要素を調べ、それが内面的な価値観や信念や世界観のあらわれだと推測することができる。米国の内面的文化を理解しなければ、社会政策も含めて、外面的行動を説明するのは不可能に近い。
米国でひときわ優勢な主流を占める文化を、具体的なイメージで表現するなら、氷山を考えてみるといいだろう。氷山の大部分は水面下に隠れている。文化についても同じことが言える。その大部分が内面的なもの、つまりわれわれの頭の中にあるもので、自覚している意識の水面のはるか下にある。太陽や雨で氷山が融けるように、目に見える先端は変わるかもしれないが、基盤になっているところは長い時間がたってもあまり変わらない。同じように、われわれの基本的な信念や信仰、価値観、考え方、世界観などはきわめてゆっくりとしか変わらない。
文化のそうした部分は、人が特定の社会や家庭の中で育つだけで知らず知らずのうちに習得される。朝食の席で親が子供に「文化的価値観」についてレッスンをするわけではない。むしろ、特定の家族の中で大きくなっていくだけで無意識に身につくのだ。われわれが自分の国を離れてほかの文化を持つ人々と交流するまで、自分の文化的価値観について比較的無自覚なのはそのためである。
アフリカ系米国人の祝日である「クワンザ」初日の夜、ろうそくに火をつけるティナ・ソロモン(88)。マサチューセッツ州ブロクトンにて。(AP/WWP)
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米国に最初に到着した移民は、ヨーロッパの信念と価値観を「新世界」へ持ち込んだ。彼らが上陸した所には、天然資源が無限にあり、他人より抜きん出る機会がいくらでも転がっているように見えた。ヨーロッパでは、貧しい家庭に生まれれば貧しいまま死んでいった。ヨーロッパの信念や価値観と豊富な資源や機会とが結びついて、新しい一組の文化的価値観がつくられた。われわれはそれを「米国の」文化的価値観と呼ぶ。
そうした個人の実績や階級移動性という新しい考え方や価値観は、それなりに報いられ、ますます強化された。それからの米国人は、何をする人間かという観点から自分を確認するようになった。パーティで米国人に会うと、たいていこんなふうに声をかけられる。「こんにちは、わたしはゲーリー・ウィーバーといいます。アメリカン大学の教授をしています。あなたは何をなさってますか?」
しかし、ほかの文化で育った人々は、自分が誰であるかという観点で自己確認することが多い。西アフリカ人なら「こんにちは。わたしはパプ・セカといいます。上流のバッセから来たタムシエの息子のパプ・セカです」というかもしれない。その人が自己確認のために第一に挙げるよりどころは、自分がどこの誰であるかということ、つまり自分の父親や出生地なのである。その身分は家族や先祖伝来のものであって、彼が個人としてやっていることや将来やりそうなことではない。
ヨーロッパの習慣とは違って、米国の海岸にたどり着いた最初の入植者たちは、国王や女王や教皇の存在を望まなかった。強大すぎる中央政府には警戒心を抱いていたのだ。米国の偉大な哲学者ヘンリー・ソロー(1817-1862)の言葉を借りれば、「小さい政府ほど良い政府」と信じていた。むろん、「新世界」には対外的問題や貿易を扱う中央政府が必要なことは認めていたが、日常生活に大きな影響を与える問題は、地方の行政府の責任と見なされた。
米国には全国的な警察隊というものが存在したことがない。福祉や法の執行、裁判の判決、弱者への配慮といった問題は、地方に管轄権がある。言論の自由や報道の自由、信仰の自由など、米国の市民的自由は、合衆国憲法と権利章典に基づいている。この合衆国憲法と権利章典が個人の自由を保護し、中央政府が強大になりすぎないようにしているのだ。
メキシコのダンスを踊る「ソチクェツァル・ティクン」(アラスカの子供たちのグループ)のアーリート・デル・リアル(左、5歳)とハビエル・アクーナ(6歳)。アラスカ州アンカレッジで開かれた「ミート・ザ・ワールド」のイベントで。(AP/WWP)
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米国はさまざまな異文化が混じり合っている国で、一つだけ突出して主流をなしているような文化はないと信じている人が多い。こうした仮説のせいか、よく「るつぼ」という比喩が使われる。世界中からやってきた人々が自分たちの文化を持ち込み、米国のるつぼの中へ放り込む。そして、さまざまな文化が一緒になって融けてしまうまでかき混ぜられ熱せられるというわけだ。
そういう考え方にも一理はある。確かに米国は文化的に多様な社会である。しかし、それでもやはり、ひときわ優勢な主流文化はあるのだ。移民は、社会の主流に加われるように、自分たちの持ち込んださまざまな特徴を捨てて、主流文化に合流した。米国には、白人、アングロ・サクソン、プロテスタント、男性というひな型をモデルとした文化的「クッキー型」アプローチがあったという主張もあるだろう。白人男性の移民は英国系の名前に変えて、プロテスタントのキリスト教に改宗し、訛りのない英語をしゃべれば、簡単にそのひな型に適合できた。しかし、みんながクッキー型に合わせられたわけではない。性別や皮膚の色、髪の質感までは変えられない。簡単に融合できた人間とできなかった人間がいたのだ。
もちろん、米国も変わった。るつぼ文化とかクッキー型文化を受け入れる米国人は、もうほとんどいない。実際、現在では米国をモザイクかタペストリーとして描写するのが普通になってきた。そういう比喩が一般的になっているという事実からうかがわれるのは、自分たちの特徴である違いを維持したまま社会全体の一部になれるということだ。モザイクやタペストリーでは、一つ一つの色がはっきりと識別でき、その色は全体の美しさをさらに美しくする。モザイクから1枚のタイルをはがしたり、タペストリーから1本の糸を抜いたりすれば、全体を台無しにしてしまう。今の時代は、違いを維持しやすくなった。性別や人種、国籍、民族的背景、宗教、性的指向の違いは受け入れられ、人生の目標を達成するために平等な機会を得ようとして、その違いを捨てる必要もない。
「~系の米国人」と呼ばれる人々、つまり異なる二つの文化や民族性を持つ人々には、1人の人間が自分の民族や国籍、宗教、人種のアイデンティティを保持しなから、なおかつ米国人であるという考えがあらわれている。例えば、メキシコ系米国人、アイルランド系米国人、アフリカ系米国人またはブラック・アメリカン、アラブ系米国人、イスラム教徒の米国人、そしてアメリカン・インディアンなどはすべて、正真正銘の米国人でありながら二つのアイデンティティを維持している。もちろん、米国という国を一つにまとめているのは、共通の価値観と信念だけではなく、英語という言語と共通の体験もある。
4州(ニューメキシコ、テキサス、カリフォルニア、ハワイ)とコロンビア特別区では、人口の規模からいえば非ヒスパニック系白人が少数派になった。大方の人口学者によれば、2050年までには米国全体でも非ヒスパニック系白人が少数派になるという。しかし、この傾向が平均的米国人に脅威を抱かせることはないようだ。それどころか、ほとんどの米国人は、多様性が問題解決能力を高め、生産性が増大すると考えている。
このことは多文化モデルの反響であり、文化の違いが歓迎されているばかりか、強みととして評価すらされているということだろう。少数派が主流文化に合わせて自分たちの違いを捨てざるを得なかった昔に戻りたいという人はほとんどいない。多様性は、受け入れるべき機会であって、克服すべき障害ではないのだ。
現代の米国が直面している問題は、どうやって違いを解消するかではなく、それほど多様な違いを持つ社会をどのように運営していくかということだ。米国はこれまでも常に多様な社会ではあったが、もはや、単にヨーロッパのさまざまな国や民族の集団をまとめるといった状況ではない。今日の多様性とは、すべての人種や民族や国籍の人々、男、女、身体障害者、あらゆる年齢の被雇用者、さまざまな性的指向を持つ人々、を意味している。人口構造の変化や地球規模での相互依存、そして多様性の明らかなメリットという現実があるからには、米国は、あらゆる文化的背景を持つ人々とコミュニケーションを図って協力し合うために必要な技術に順応し、それを発展させていくだろう。



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