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―第7章―
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すべての刑事訴訟で被告人は、・・・公平な陪審による迅速な公開裁判を受ける権利と、・・・ 訴追の内容と理由につき告知を受ける権利とを持つ。 被告人はまた、自分に不利な証人と対決し、自分に有利な証人を得るために強制的な手続きを取る権利と、 自分の弁護のために弁護人の支援を受ける権利とを持つ。
社会というものは、最も好ましくない市民をどのように扱うかによって判断される、と言われてきた。犯罪で告発された者は、定義上、この種類に含まれる人々である。彼らは、他人の生命、身体、あるいは財産を奪ったために、それらを禁じる社会的誓約を破ったとの嫌疑がかけられる。その告発内容が事実であれば、彼らは社会的契約の外に置かれてしまったことになり、文字通りの「無法者」となる。しかし、彼らを刑務所に送り、地域社会から追放し、あるいは彼らの命さえ奪う前に、彼らが告発された犯罪について、間違いなく有罪である、つまり、「合理的疑いの余地なく」有罪であると、われわれは何よりも確信したいと考えている。
こうした注意深いやり方には、2つの理由がある。第1の、そして最も明白な理由は、その個人が永続的な損害を受けるのを回避することである。もし被告人が罪を犯していないなら、法の規定により無罪と決定し、無実の者が処罰されないようにしなければならない。もう一つの同じくらい重要な理由は、社会に対する損害と個人の自由への侵害を防ぐことである。腐敗した司法制度、つまり、政府が政敵を罰するために司法を悪用する、あるいは有罪の者を放免するような司法制度は、民主主義社会に不可欠な政府と社会に対する信頼を失墜させる。言論や出版の自由がなければ、自由社会は存在しない。それと同じように、犯罪で告発された者を公正に扱い、彼らの権利を保障する司法制度がなくては、民主主義は存在し得ない。
だからと言って、米国の刑事司法制度が完璧だと言うのではない。現実と理想の間には、しばしば落差がある。それは、どのような社会でも同じである。しかし、合衆国憲法修正第5条と合衆国憲法修正第6条に見られる憲法上の要件は、何が理想かを常に想起させるものであり、不公正な扱いを受けたと思う人に、不利な判決を上級裁判所に控訴する権利を付与している。
刑事司法制度の機能ぶりは、民主主義にとって極めて重要である。従って、迅速な公開の裁判を受ける権利は、犯罪で告発された人々だけに適用されるのではない。それは国民全体の権利でもある。すなわち、裁判が公開されることにより、国民は、制度の機能ぶりを調べることが出来るし、なにか重大な問題があるかどうかを判断できるはずである。さらに、陪審を務める義務は、恐らく、投票に次いで、最も重要な市民としての責任である。これ以外のいかなる政府の仕事においても、平均的な市民が、誰かの有罪・無罪を判断する役目を担ったり、民事裁判で損害賠償を決める責任を負ったりするよう求められることはない。陪審の義務とは、一種の市民教育である。その過程で国民は、法律の適用を求められ、その結果として国民は、法律とは何かを学ばなければならず、それが自分の扱っている事件にどんな影響を与えるかを理解する必要がある。
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「陪審は、国民に支配をさせる最も効果的な手段であるが、それはまた、国民に支配することを学ばせる最も有効な手段でもある」 |
公正な裁判を受ける権利には多くの側面がある。そして、場合によっては、一つの側面が他の側面よりも重要なこともあるが、それらはすべて、われわれが繰り返し言及してきた「権利の束」の一部を構成している。例えば、裁判審理に提出できる証拠の要件は、合衆国憲法修正第4条の規定で定められた通り、警察に、家宅捜索を行う十分な理由があること、そして捜索を行う前に令状の交付を受けていることなどである。警察がこれらの憲法上の義務に従わない場合、押収した証拠は裁判では採用されない。警察が取り調べの際、容疑者に対して、本人が持つ憲法上の権利を告知しなければ、その供述は法廷では無効と見なされる。犯罪容疑がかけられた被告人が、弁護士との接見を拒否されれば、公正な裁判で正義を行うことができないのは明白である。
これらの保障のすべてが犯罪者にとって有利過ぎて見え、やり手の弁護士にかかれば、依頼人が有罪であっても、確実に処罰を免れることになると主張する人々もいる。明らかに有罪と思われる被告が処罰を逃れるといった、世間が注視する事件もあるが、実際には、この制度全体を見れば、極めてよく機能していると言える。公判前の捜査や逮捕にかかわる被疑者の保護規定のお蔭で、より優れた専門性の高い捜査活動が行われている。その結果として、被疑者が逮捕される段階では、十分な証拠が合法的に収集されており、有罪の証拠が積まれ、被疑者が処罰される公算も大きくなる。しかし、これらすべての手続きは、国家の恣意的な権力行使を制限するために注意深く策定された、憲法の枠組みの中で行われるのである。
陪審裁判は本質的に、真実かどうかを決めるための努力である。被告人は、検察側が主張するような行為を実際に実行したのだろうか。過去には、真実を決める試みには多くの異なる方法があり、その際、しばしば苛酷な身体的苦痛が伴った。例えば、数百年前、被告人は潔白を証明するために、肉体的苦痛を耐え忍び、神に身の潔白を訴えた。被告人が池の中に放り込まれ、沈むか(無罪)、浮き上がるか(有罪)が試された。無罪なら(運がよければ、生きたまま)引き上げられた。ヨーロッパの騎士階級では、しばしば決闘による神盟裁判が行われた。無実の者には、神がその腕に力を与え、偽りを主張する告訴人や真犯人を打ち負かすと信じられていた。
米国人が極めて高く評価するようになった陪審制度が、いつごろから発達したのかは、わかっていない。ノルマン人によるイングランド征服以前、サクソンの法律は、告訴人が明確に名乗りをあげて、公の場で被告人と対決することを義務づけていた。裁判の模様は公開され、地域の人々が立ち会うことによって公正さが保障された。ノルマン人のイングランド征服により、大陪審が導入された。これは、ノルマン人の「宣誓審問による承認」制度に由来する。この制度では、「承認者」として選ばれた12 人の騎士が、イングランドの新しい支配者の関心事について、公開調査を行った。これらの調査には、税率や臣下が領主に対して負う封建的義務などが含まれていた。
すでに12世紀の段階で、土地所有権に関する特定の事件で訴訟を起こす者は、国王裁判所に対して承認者による喚問を申請した。承認者たちは、自分たちの情報、あるいは第三者を審問して判明した情報に基づいて、事実を究明した。国王裁判所の判決は、全員一致の場合には、最終的なものとして承認された。やがて、国王裁判所で審理されるそのほかの係争事案も同じような方法で扱われるようになり、騎士で構成される承認者団は陪審となった。当初、陪審員は、事実を判断するばかりでなく、土地の慣習、および住民についての知識を持つ証人としての役割も果たしていたかもしれない。しかし、15世紀初頭までに、コモンロー裁判所の裁判官は、陪審の機能を、訴訟で提出された証拠に基づき事実を認定することに限定した。
米国独立戦争の時代には、陪審制度による裁判はすでに、各植民地で当然の権利となっていた。入植者らは、陪審裁判を、個人の自由に関する基本的な保障と見なした。英国の政治家エドマンド・バーク(Edmund Burke)は、英国議会に対し、英本国が陪審裁判を制限すれば米国植民地は反乱を起こすだろう、と警告した。しかし英国議会は、1765年に印紙税法を制定することにより、まさに陪審裁判制限を実行してしまった。密輸で起訴された者の裁判を海事裁判所に移し、民間人の陪審を加えずに、海軍士官が判決を下すようにしたのである。
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「しかし、中でも最も嘆かわしい新機軸は、海事裁判所の権力の警戒すべき拡大である。これらの法廷では、ただ一人の裁判官が取り仕切っているのである! そこでは、一人の陪審員も関与していない! 法律も事実も、同じ一人の裁判官によって判断されている」 |
やがて、陪審は進化し、大陪審と小陪審という、異なる機能を持つ二つの陪審になった。大陪審は、誰かを特定の犯罪で起訴するために十分な証拠があるかどうかの判断をする。一方、小陪審は、実際の事件について審理する。この二つの陪審は、規模、運営方法、および証拠基準の点で異なる。
現在、米国の大陪審は最大24人で構成される。大陪審は、複雑な問題を調査するため、もしくは単に裁判所に起訴するかどうかを決めるために、召集される。前者の場合、検察官は証人を出頭させ、大陪審は、その結果を詳細に記述した報告書を提出するか、あるいは有罪の嫌疑がある者を起訴することができる。大陪審での手続きは極めて柔軟である。正規の事実審理では認められない伝聞証拠などのような証拠まで審査することができる。また起訴事実を決める際には、確実性よりも可能性を基準とする。被疑者が罪を犯したかもしれないと大陪審のメンバーが信じるに足る十分な証拠がある場合、大陪審は起訴に踏み切ることができる。事件が最終的に小陪審の事実審理まで進んだ時には、はるかに厳しい基準が適用される。
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(Commentaries on the Laws of England)(1765年) 「しかし、事実認定の決定や調整にあたり、一人の法執行官に任せると、証明されてもいないことを証明済みと言い張ったり、あるいは、より巧妙に一部の状況証拠を隠したり、こじつけたり、すり替えたり、ほかの事を際立たせたりすることによって、不公平や不正が入り込む余地が大きくなるからである。従って、良識を備えた、清廉潔白な陪審員を、中産階級から抽選で十分な数だけ選べば、彼らが真実を究明する最良の調査官であり、公共の正義を擁護する最も確かな守護者であることがわかるだろう。国内で最も大きな権勢を振るう者たちは、他人の権利を著しく侵害することに対して慎重になるだろう。なぜなら彼らは、裁判の開かれる直前に任命される12人の公平な男たちが、自分たちの抑圧の事実を調べ上げ、処分を決定するかもしれないことを知っているからである。また、いったん抑圧の事実が認定されれば、勿論、法律がそれを正すことを承知しているからである。従って、こうした制度は、公共の正義の執行において、国民が占めるべき役割を国民の手にとどめ、力と財力のある市民が独占しないようにしているのである。」 |
大陪審制度は、しばしば圧制に対する重要な砦と見なされてきた。英国における大陪審の存在は12世紀にまでさかのぼれるが、それにもかかわらず、国王は自らの手で刑事訴追を行うこともできた。この特権の濫用が、17世紀の英国において、スチュアート王朝のチャールズ一世およびジェームズ二世に対する民衆蜂起を引き起こし、また18世紀には、ジョージ三世に対する米国植民地の入植者による民衆蜂起を招いた。独立宣言の中で、入植者たちは国王が踏みにじったとするいくつかの権利を列挙したが、その中でも特に目立つのが、被告人の権利だった。独立戦争の指導者たちは、裁判官が国王の言いなりになっていること、裁判に不正があること、陪審裁判が認められていないこと、裁判を行う場所が遠隔地に移されていることなどを挙げ、これらのすべては、マグナ・カルタから受け継がれてきた適正な法手続き(デュープロセス)の理念を嘲笑するものだと指摘した。全体としての国民のみが、その代表者を通して、刑事訴追を開始する権限を持つべきだ、という原則は、大陪審制度を保障する合衆国憲法修正第5条に盛り込まれている。大部分の州憲法も同様の条項を設けている。大陪審の開催は、英国では1933 年に廃止され、裁判所の事務官が起訴の準備を行うようになった。だが米国では、刑事裁判制度の特徴として普遍的とは言えないものの、依然として大陪審は活発に行われている。
小陪審は通常12人で構成されるが、州によっては、陪審団の数はもっと少ない。陪審員は、大陪審と同じように、登録選挙人の中から選出される。陪審裁判の手続き上の要件は、極めて厳密であり、被告人は有罪が立証されるまで無罪という推定に基づいている。被告人が無罪であることを立証するのは、被告人本人の義務ではない。被告人が有罪であることを立証する責任は検察側が負い、最も重い罪に適用される基準は、「合理的疑いの余地がない」ことである。連邦裁判所、および大部分の州裁判所では、有罪の評決には陪審員の全員一致が要求される。陪審員の過半数が無罪に投票すれば、被告人は放免となる。しかし、陪審員の過半数が有罪に投票をした場合には「評決不成立」と呼ばれる決定となり、新たな顔ぶれの陪審員団のもとで再審理となる。
「有罪が立証されるまで無罪」という言葉は、意味のない美辞麗句ではない。憲法の諸規定と、そこから生じる手続き上の諸規則は、一市民に対する政府の明らかに有利な立場を是正するように設けられている。大陪審の段階で検察官は、証拠の優越により、被告人が罪を犯したことを立証しなければならない。この基準は、警察官が捜索令状を取得する際に満たされなければならない「相当な理由」という基準と似ている。大陪審は、被告人が実際に有罪であることを確信する必要はなく、合理的な可能性があるというだけでいい。実際に有罪かどうかは小陪審が評決を下す。
そうした正式事実審理では、最初に検察側が事件について論告を行い、その後、検察側の各証人は、被告側弁護人による反対尋問を受ける。検察側は、合法的に入手した証拠を提出しなければならない。伝聞証拠、つまり、証人が他の人々から聞いたことに基づく主張などは、証拠として提出できない。さらに検察側は、被告人が過去に法律上の問題があったことなど、審理中の事件の争点と関係のない事項には言及できない。被告人にとって不利な証拠を持つ証人が存在する場合は、その証人を出廷させなければならない。これは憲法に基づき、被告人には、自分に不利な証言をする者と対決する権利が与えられているからである。検察側の証拠提出が終わった段階で、弁護側は、検察側が事件を立証できなかったと考えた場合には、裁判所に対し即座に訴えを取り下げるよう要請することができる。滅多に起きないが、時にはこうした事例もある。そしてこれは、検察側に対し、根拠薄弱な訴追を行うことは、司法制度にそぐわないことを喚起する役割を果たしている。
この後、弁護側の申し立てがあり、弁護側の証人も、検察側からの反対尋問を受ける。弁護側には、憲法に基づき、被告人の無罪を証言できる証人を法廷に召喚する権利が与えられている。弁護側は、被告人の無罪を立証する必要はない。有罪とするには「合理的な疑い」があることを立証するだけでいいのである。
ここまでの説明は、もともと、概略に過ぎない。事実審理の実際の手続きは、極めて複雑である。だからこそ、刑事被告人が、弁護にあたって弁護士の支援を得る権利を憲法で保障されているのである。|
(Duncan v. Louisiana)での判決理由(1967年) 「陪審による裁判は、われわれのすべての市民的、政治的制度の根幹にある自由と正義の基本理念のひとつなのかという問いが、繰り返し行われてきた。・・・われわれは、陪審裁判は米国の司法制度の基本であると信じる。・・・連邦と州の憲法における陪審裁判の規定は、公権力の行使に関する基本的な判断を反映している。それは、市民の生命と自由にかかわる全権を、一人ないし複数の裁判官に委ねることを避けようとする考え方である」 |
残念なことに、米国の刑事裁判制度の現実は、しばしば理念とかけ離れている。多忙で過労気味の検察官と、公選弁護人(経済的に恵まれない被告人を無料で弁護する弁護士)と裁判官は、よく「司法取引」をする。これによって被告人は、刑罰の軽減と引き換えに有罪を認めることに合意し、その結果、国側は、裁判の時間と経費を節約することができる。また、規則があるにもかかわらず、テレビや映画で見るような、きびきびした手際のあざやかな裁判は滅多にない。混乱や遅延はつきもので、弁護士は必ずしも雄弁とは言えず、裁判官もまた、必ずしも司法の英知の手本とは限らない。しかし、これらの問題があるにもかかわらず米国の司法制度は、その理念においても、時には不備が伴う実践においても、世界中のどの国の司法制度よりも、犯罪で起訴された者に対し多くの保護を与えている。ほかのすべての自由と同じように、公正な裁判を受ける権利は進化を続けており、社会の変革に対応して、変化し、改善されている。
実際、陪審制度がこの数十年の間にどのように変化したかを見ると、憲法上の枠組みの中での変化が、常に、例外というよりも常例となっていることがわかる。18世紀後半、トマス・ジェファーソンは、「12人の誠実な男(陪審員)の良識」が公正な判断の機会を増大させた、と述べた。その際、ジェファーソンは、「12人の誠実で、財産を所有する白人男性」と言い換えてもよかった。なぜなら、米国の陪審員名簿は常に、選挙人登録者名簿から抽出されてきたからである。選挙権が長い歴史を経て拡大されてきたように(第12章を参照)、政府と法律の運用への全面的参加から排除されてきた人々の、権利と責任も拡大されていったのである。1940年に連邦最高裁判所が述べたように、「適切な陪審のあり方に関するわれわれの概念は、民主的な社会と代議政治に関するわれわれの基本的概念と軌を一にして発展してきた。陪審団は地域社会を真に代表すべきである。これは、確立された伝統の一部である」
財産を市民参加の要件とすることは、米国史上、早い時期から不評を買っていた。このため、1830年代に入ると、投票にも、陪審員の任務を果たす前提としても、財産の所有を条件とする州はなくなっていた。しかしながら、南北戦争で奴隷制が廃止されたにもかかわらず、南部のいくつかの州は、人種だけを理由に、引き続き黒人を陪審から排除しようとした。1879年に連邦最高裁判所は、大陪審と小陪審の任務から黒人を除外していたウェストバージニア州法を違憲とする判断を示した。だが、当時、投票資格の要件は州法の問題と考えられていたため、南部諸州は、黒人から投票権を奪うためのさまざまな策略をめぐらせたのと同様に、工夫をこらして陪審からも彼らを締め出し続けた。選挙人登録者名簿に黒人が含まれなければ、自動的に陪審員名簿に黒人は含まれなかった。
しかし1940年代に至り、公民権運動が具体的に動き出すにつれ、連邦裁判所は、黒人を陪審から締め出し続けることに対する異議申し立てに、共感するようになってきた。その理由の一つは、人種についての国民の考えや理念の変化である。それは、1950年代から1960年代にかけての大変動期に実を結び、米国の黒人はついに、国中で完全な法的権利を獲得するに至るのである。裁判所が繰り返し強調したように、特定の集団を陪審任務から締め出すことは、その集団を差別し、市民としての責任を完全に果たすことを妨げるだけではなく、犯罪で起訴された被告人から、自分の同輩によって構成される陪審を持つという自由な裁判の基本的な特質の一つを奪うものだった。
この問題については、多年にわたり訴訟が提起されてきた。その原告は、さまざまな理由で陪審名簿から外された人々ばかりではない。裁判の被告(人)たちが、特定の集団が陪審任務から外されたことにより、適正な法手続きの享受を否定された、と訴えたのである。
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(Peters v. Kiff)での判決理由(1972年) 「いかなるものであれ、地域社会を構成する、同一と証明し得る大きな一部分を陪審から締め出すことは、さまざまな人間の特性と経験を陪審員室から排除することでなり、その影響が及ぼす範囲は計り知れないほど大きい。締め出された集団が結論を下す際に、一貫してひとつの階級として投票をすると決め付ける必要はない。・・・彼らを排除することは、提起されるあらゆる訴訟において、事件の人間的な側面に関する、思いもよらない重要性を持つような視点を、陪審から奪うことになる」 |
陪審員名簿から締め出され続けていた最大の集団は、女性だった。1920年に選挙権が与えられた後でさえ、女性は、自分の家と家族の世話が主な義務だとの理由で、依然として陪審任務から除外されていた。女性が投票できるようになっても、刑事裁判に関しては、審理中に耳にする「露骨な」証言が女性の「繊細な神経」にショックを与える、という男性の強い偏見が依然として支配的していた。
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(Ballard v. United States)での判決理由(1946年) 「立場を逆にして、仮にすべての男性が意図的、組織的に陪審から締め出された場合でも、陪審は地域社会を真に代表している、などと言う人はいるだろうか。実際には、両性は互いに代替できないのである。すなわち、一つの性のみで構成される地域社会は、両性で構成される地域社会とは異なる。両性が互いに及ぼす影響の微妙な相互作用は、想像を超える領域の一つである。・・・どちらかの性が排除されれば、一つの味わいというか、明白な特質が失われる。片方の性を除外することは、まさに地域社会の代表としての陪審の意義を希薄にすることだろう」 |
最終的に女性は、陪審制度に完全に参加する権利を勝ちとった。そしてそれが女性に害を及ぼしたという証拠は何もない。それどころか女性は、権利が拡大されたすべての集団と同じように、市民権に伴う責任を、より強く意識するようになったのである。
ここまで見てきたように、陪審制度は何よりも第一に、犯罪で起訴された被告人の権利を守ることを意図したものである。被告人と同じ市民、いわば被告人と同格の市民で構成される陪審員団こそ、有罪か無罪を判断するのに最も適しているという考え方である。第二の特徴として、陪審制度は、個人に重い責任を負わせるという点で、民主主義に不可欠なものであるということである。恐らく、個人が民主主義の機能について学ぶ場所は、これ以外にはないと思われる。しかし陪審裁判には、まだ第三の特徴がある。それは、法制度が適切に機能していることを、地域社会全体に納得させるという点である。
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「リッチモンド新聞社対バージニア州事件」 (Richmond Newspapers, Inc. v. Virginia)での判決理由(1980年) 「英米の司法制度における現代の刑事裁判へとつながる法的手続きの起源は、信頼し得る歴史的記録の以前までさかのぼることができる。・・・現在の目的にとって重要なことは、その進化の全過程を通じて、裁判は傍聴したいと思うすべての人々に開かれていたことである。・・・この法廷公開の原則の歴史は、途切れることなく、矛盾を生じることもなく、何世紀もの昔と同じように今日もなお法理にかなっている。こうした歴史を考えると、われわれは、この公開の原則が、われわれの司法制度の下にある刑事裁判の本質そのものに内在している、と結論を下さざるを得ない。・・・」 「合衆国憲法修正第1条は、合衆国憲法修正第14条と併せて、政府が『言論や出版の自由を制限し、国民が平穏に集会し、また苦痛からの救済を求めるために政府に請願する権利を制限する』ことを禁じている。これらの明確に保障された自由は、いずれも政府の機能に関連する問題について、意思や情報の伝達の自由を保障するという共通の重要な目的を共有している。明白なことではあるが、刑事裁判を執行する方法ほど、国民にとって関心が高く、重要な政府活動はほかに挙げるのが難しい。・・・」 「権利章典は、公開を前提とする裁判の長い歴史を背景に制定された。当時裁判の傍聴は、訴訟手続き自体の重要な側面と見なされていた。『傍聴のために選出された、なるべく多くの人々の前で』裁判を行うことは、『自由なイングランド統治憲法が持つ計り知れない長所』の一つと見なされていた。合衆国憲法修正第1条は、言論と出版の自由などを保障することを通じて、万人が裁判に参加できる権利を保護し、ひいては、それらの明白な保障に意義を与えていると読み取ることができる。これが裁判の文脈で意味するものは、言論と出版に関する合衆国憲法修正第1条の保障それ自体、合衆国憲法修正第1条が採択された時点まで、長らく公衆に開かれてきた法廷の扉を、政府が性急に閉じることを禁じているのである。『なぜなら合衆国憲法修正第1条は、あいまいな言い方をしていない。・・・それは、自由を愛する社会という文脈で読まれるとき、その明白な文言が許容する最も広い範囲の命令と解釈されるべきである。』・・・」 「われわれは、刑事裁判を傍聴する権利は、合衆国憲法修正第1条による保障の中に内包されていると考える。こうした、人々が数世紀にわたって行使してきた裁判傍聴の自由がなければ、言論と出版の自由の重要な側面は『骨抜きにされるだろう。』」 |
多くの人々は、一生の間に一度も裁判に参加しないだろう。だが、参加する権利は持っている。裁判参加は義務でさえあると言う人もいるだろう。これは、絶えざる警戒が自由の対価だとすれば、多くの人々が民主的社会の重要な要素と考えるものに対しては、常に監視があって当然である。
国民が享受するほとんどすべての自由と違って、陪審裁判は深刻な批判にさらされ、広範な検討を要する対象となってきた。今日、陪審裁判の権利に代えて、決闘による神盟裁判や、一人の判事が再審不可能な判決を下す、密室裁判を求める人はいない。自由で公正な裁判の理想とは、正義が行われることである。その意味で、現行制度は、あまりにも負担が大きくなり、真に自由で公正な裁判が出来ない、という批判もある。
現在の制度は、十分に機能していない、と批判派は言う。確かに裁判の数は余りにも多いが、その多くは軽微な犯罪の裁判で、もっと効率よく処理できるはずだし、実際にそうすべきである。裁判所のスケジュールは過密で、被告(人)が法廷に立つまで数カ月、あるいは恐らく数年の遅れが生じることさえ珍しくない。ことわざにもあるように、正義の遅れは正義の否定である。公選弁護人も、仕事が多過ぎて、手を差し伸べるべき貧しい人々に対して、真に効果的な支援をすることができない。検察官は、余りにも多くの裁判とスタッフ不足に悩まされているため、被告との「司法取引」に走りたがる。その結果、比較的軽い罪の被告人に重い刑を科したり、もっと深刻な重罪の被告人を、最低限の刑で済ませたり、ということがしばしば起きている。
さて、たとえ裁判が事実審理まで進んだとしても、本当に陪審制度は、真実を判定する最適の手段なのだろうか。かつては、陪審員は地元の事情に詳しく、被害者と被告の両方を知っており、事件の事実関係も承知しているので、公平かつ公正な判断を下すことができる、というのが陪審制度の理由付けの一つだった。今日、陪審員の候補者名簿は、裁判管轄区の選挙人登録者名簿から抽出される。一つの裁判管轄区は、広さが数百平方マイルに及び、人口は何十万という規模である。陪審員が被告を知っていることはめったにない。もし知っていれば、陪審員から除外されるだろう。個人的な知り合いであることが、判断に不当な影響を与える恐れがある、と見なされるからである。独禁法違反事件や、株価の操作や不正に関する訴訟で、平均的な市民は事件に関わる経済や会計の問題を本当に理解することができるのだろうか。
刑事裁判制度をさらに効率的に運営する方法はあるのだろうか。なにしろ陪審裁判の発祥の地、英国では、陪審による審理が、民事訴訟のわずか1%、刑事裁判の5%でしか行われていない。一人ないしは複数の裁判官が陪審を用いずに事件を審理する「非陪審審理」の方が、時間がかからず費用も少なくて済む。そして、その判断は一般に公開され、上訴裁判所で再審理もできるので、多くの人は「非陪審審理」の方が公正かつ効率的だと考えている。さらに、難しい法律問題が絡んだ訴訟では、専門知識のない素人よりも、裁判官の方が、判断を下すのにふさわしい知識を備えている。
このような理由に刺激されて、米国では、民法の領域において、両当事者が公平な仲裁(公平な第三者の裁定に従うことに合意する)へ移行する動きが活発になっている。仲裁は、裁判所のような過密スケジュールによる遅延がないので、より迅速に行われると言われる。そして、公平でもある。企業が関与している場合は、両当事者に、双方が事業を行っている市場のルールに基づいて、判断してもらうことになる。
最後に陪審員は、気まぐれだという悪評がある。また、被告人はどんなことでもやりかねない、と陪審員が判断すると、法律を無視した評決を出しかねないとか、悪賢い弁護士の意のままに操られるといった批判もある。
これらすべての批判は、一部分は当たっている。実際、今日の米国の刑事および民事の司法制度は、さまざまな方式に依存している。非陪審審理もあるし、仲裁もある。さらに、優れた捜査によって、警察が十分に有力な証拠を収集したため、起訴された犯罪者が陪審裁判を受けることなく、有罪を認める場合もしばしばある。法律を無視して感情の赴くままに評決する、いわゆる「無法陪審」について言えば、これは、一般市民の判断に大きく依存する制度に、時には生じる弱点である。これに加えて、米国の歴史においては、法が不公正だと信じた陪審が、「陪審による法の無視」を行った時期もあった。独立戦争より前、地元の陪審は、英国の貿易法と航海法が不公正であるとし、密輸で起訴された隣人を有罪にすることを拒否した。
しかし、制度に誰もが認める欠陥があるからといって、陪審裁判を廃止することは、民主的政府そのものへの反抗となるだろう。非陪審審理、あるいは(民事訴訟では)仲裁の方がうまくいくと考える人には、そのような選択もある。しかし、多くの人にとって、無実を立証する唯一の望みは、同格の市民である陪審員団による審理を受けることである。その場合、検察側は「合理的疑いの余地のない」有罪を立証しなければならない。
陪審制度を、効率的か非効率的か、という観点からのみ批判する人は、陪審の重要性が、有罪か無罪かを決めるという問題を超えたところにあることを認識していない。社会がより複雑になるにつれて、平均的な市民が政府からますます切り離され、日常的な民主主義のプロセスへの参加意識を失っていくことを、多くの人が懸念している。陪審を引き受けることは、市民としてのほぼすべての行為の中で、責任感と参加意識の両方を与え続けてくれる唯一のものである。
同じ仲間、つまり同格の一般市民の陪審員による自由で公正な裁判は、被告人だけでなく、犯罪事実を確定するために召集される者にとっても、依然として死活的な国民の権利のままなのである。
参考文献:
- Jeffrey Abramson, We the Jury: The Jury System and the Ideal of Democracy (New York: Basic Books, 1994)
- Harry Kalven, Jr., and Hans Zeisel, eds., The American Jury (Boston: Little, Brown and Company, 1966)
- Linda K. Kerber, No Constitutional Right to be Ladies (New York: Hill & Wang, 1998)
- Godfrey D. Lehman, We the Jury: The Impact of Jurors on Our Basic Freedoms (Amherst, NY: Prometheus Books, 1997)
- Leonard W. Levy, The Palladium of Justice: Origins of Trial by Jury (Chicago: Ivan R. Dee, 1999).



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