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『知的自由と検閲 Q&A』

米国図書館協会

「1人を除く全人類が同一の意見を持ち、ただ1人が反対の意見を抱いていると仮定しても、人類がその1人を沈黙させることの不当であろうことは、仮に、その1人が全人類を沈黙させうる権力をもち、それをあえてすることが不当であるのと異ならない」  ジョン・スチュアート・ミル 『自由論』

「自らの自由を確実なものにする人は、敵すら抑圧から守らなければならない。 なぜなら、この義務に違反すれば、いずれその前例は作った本人に及ぶことになるからである」 トーマス・ペイン 『政府の第1原理に関する論文』

知的自由とは?  

  知的自由とは、あらゆる見解に基づく情報をいかなる制約ももうけずに求め、かつ受けとる権利であり、全ての人に与えられる。この権利は、すべての思想・描写への自由なアクセスをもたらす。 これにより、問題、原因、または行動についていかなる、またあらゆる側面を探求することが可能になる。

なぜ知的自由が重要なのか?  

  知的自由は、われわれの民主制度の基盤である。民主制度においては、人々が自己統治の力を持つことが前提になる。しかし、これを責任ある形で実現するためには、人々が十分な情報を得ている必要がある。図書館は、各種の形式で思想・描写と情報を人々に提供している。

  知的自由には、思想・描写を保持し、受け取り、広める自由が含まれる。

検閲とは?

  検閲とは、特定の人々(個人やグループまたは政府)が反対する、または危険と見なす思想・描写や情報を抑圧することである。検閲は、「この本を誰にも読ませてはならない、またはその雑誌を買わせてはならない、またはその映画を見せてはいけない、私が反対だからだ」と誰かが言うのと同じである。検閲する人は、何が正しくて適切なのか、あるいは不快で反対すべきなのかの彼らの判断を、国家権力を用いて、人々に押し付けようとする。検閲する人は、図書館などの公共機関に圧力をかけ、彼らが不適切または危険と判断する情報への公共のアクセスを抑圧し、排除する。その為、その情報を誰も読んだり見たりすることができず、結果としてそれについて考えをまとめる事ができなくなる。検閲する人は、人々より先に作品に対しての価値判断をしたいのである。

検閲はどのようにして行なわれるか?

  検閲は、本、雑誌、映画やビデオ、または芸術作品などの思想・描写への公共のアクセスを排除、または遮断する形で行なわれる。個人または圧力団体が、自分達が反対するものを特定する。彼らは、学校に対しそれらの作品を使用しないよう、図書館に対し蔵書に加えることのないよう、書店やビデオ店に対し販売しないよう、出版社に対して出版しないよう、美術館に対して展示しないよう圧力を加えて、自分たちの意志を通すこともある。検閲は、年齢その他の条件に基づき、特定の人々に対して作品へのアクセスを制限する形で行なわれることもある。

検閲を試みる人は?

  検閲する人は、検閲によって社会を改善し、子供を守り、喪失した道徳的価値観を回復させることができると真摯に信じている人々であることが多い。しかし、合衆国憲法修正第1条により、仮に検閲する者がその思想・描写が不快であると見なした場合でも、憲法で保障されている読み、視聴し、広める権利はわれわれ全ての人に与えられている。

検閲と知的自由の関係は?

  検閲を行う者が、自己の意見や考えを述べる際に使う権利は、図書館員が検閲に対抗して、保護を求めようとする時に行使する権利と同様の権利である。ある特定の思想・描写に反対している人々が、その批判を人々に周知する為に行使する権利は、彼らが反対している作品を創造し、広める権利と同様である。表現の自由や、ある意見に同意するよう他者を説得する権利は、自分が嫌う思想・描写を表明する人々の権利が保護されてはじめて守られる。両者の権利は守られなければならない。さもなければ、両者ともその権利を失うことになる。

検閲する者は、いかにして特定情報の抑圧を正当化するのか?

  検閲する者たちは、ある作品があまりに不快であり、また特定の思想・描写が社会に対して憎悪に満ち、また有害なものであるから、それらが陽の目を見ることは許されないと、単純に信じている場合もある。悪い思想・描写は若者や弱者に悪影響を与え、結果として害があると心配しているものもいる。さらに、正しくかつ道徳を唱道する思想・描写と、邪悪で道徳的に腐敗した思想・描写との間には極めて明確な違いがあると信じ、彼らの価値判断により社会が利益を受けていると確信している人たちもいる。 彼らは、特定の思想・描写が無制限に広がれば、特定の人々、特定の団体、さらには社会すらも危険にさらされると信じている。検閲する者がしばしば見過ごすのは、検閲者が支持できない思想・描写の抑圧に今日成功したとして、明日になれば、今度は、別の人々がそれを前例に、その思想・描写を抑圧するかもしれないという点である。

最も頻繁に検閲の対象になる作品は?

  歴史を通して、書籍が多くの理由により、検閲の標的になってきた。政治的な内容や性的描写がその理由にあげられる。さらに、人種や文化、または民族的な背景、性別または性的指向、或いは政治的、宗教上の信条などが、特定の人々にとって侮辱的言辞であるということも理由になる。異端、冒涜、治安撹乱、猥褻、または子供に不適切と見なされる作品は、これまでもしばしば検閲の対象にされてきた。

  人類が表現を記録するようになって以来、人々は、自己の著書や信条のために、火あぶりの刑に処せられ、毒を飲むことを強要され、磔の刑を受け、追放され、非難されてきた。

本当に検閲されるべき表現はないのだろうか?

  連邦最高裁判所は、修正第1条によっても保護されない言語活動が、狭い範囲ではあれ、存在するという裁定を示した。これには、猥褻、児童ポルノ、中傷、そして「挑戦的な言葉」、または眼前の切迫した違法行為を扇動するような言語活動が含まれる。政府にはまた、戦時における軍の移動、国防に関する機密情報などの、国家の安全保障に不可欠と見なされる情報の機密を保護することが許されている。

猥褻とは?

  性的表現は、しばしば検閲の対象になる。しかし、最高裁判所は、普通の人が、現代の社会規範に照らし、その作品が、1)性的にみだらな(または病的で下品かつ不健康な)関心を呼び起こすようなものであり、(裁判所が、その定義に基づき、性に対する関心には健康な側面があることを言外に認めていることに注目する必要がある!)、2)作品が、州法で定義されている特定の性行為をあからさまに下品な方法で描写していると見なし、そして、3)良識を備えた人(社会規範は、この最後の要素を規制していない)が、作品には、真摯な文学的、芸術的、政治的、または科学的価値が欠如している、と判事または陪審員が判断していると、裁判所が認めたときのみ、それらを猥褻とみなす。作品が猥褻であり、従って違法であると判事または陪審員が判断を下すには、当該作品に関し、上記の3要素を明示しなければならない。

法的に猥褻であるか否かは別として、子供をポルノから守るためには?

  子供の教育に関する基本的な責任は、親にある。親が特定の思想・描写や、特定の表現形式から子供を遠ざけたければ、それらを子供から遮断する責任が親にはある。子供に何を読ませ、見せるかを決定する親の義務と責任に対し、政府機関が侵害または介入することは許されない。

1日24時間子供のそばに居られない場合、子供を指導する方法は?

  現在の社会状況や多様な通信手段が子供の庇護を困難にしていると考える親も、自身の家族の枠組の中で現実的に対処する方法を見出していかなければならない。図書館には育児について、親子の間のオープンな対話、乳幼児保育者や子供の友達の親に自分のルールを伝える方法、そして子供のための作品に関して幅広い観点から述べられる各種団体の意見に関する情報を提供してくれるなど、大いに役に立つ。

  親が不適切と考える本を子供が図書館から借りてきたときは、親はそれを返却し、豊かな経験をもつ図書館員の助けを借り、多くの公共図書館が所蔵している数十万の蔵書の中から、自分が良いと思うものを探し出した方がよい。

図書館員が蔵書として購入しないと決定することは検閲ではないのか?

  全ての作品を収集できる図書館は存在しない。従って、取捨選択をする必要が出てくる。取捨選択は包括的プロセスである。つまり、図書館は、幅広い意見と主題を提供するという図書館の使命遂行に供する作品を積極的に求めていく。対照的に、検閲は排他的プロセスである。つまり、ある個人または機関が、特定の思想・描写を不快と見なし、それへのアクセスを望まないという理由から思想・描写や情報へのアクセスを拒否し、或いは思想・描写や情報を抑圧する場合は検閲である。図書館が作品を蔵書に加えないという決定を下す理由には、作品が表現する思想とは無関係な多くの客観的理由がある。例えば、重複、地域社会の関心の欠如、費用、スペースなどの問題である。表現されている思想に対する不同意という理由や思想・描写への公共のアクセスの遮断を目的として、それらの決定がなされない限り、作品を図書館の蔵書に加えないという決定は、検閲ではない。

自分の意向に沿う作品が図書館にない場合には?

  欲しい作品を要求することである。図書館は、地域社会全体の関心を満たすために奮闘している。自分の住む地域の図書館が、欲しい作品を購入できなければ、図書館相互貸借を利用してその作品を図書館が入手してくれる可能性もある。図書館は、必要な、または欲しい情報を探し出す手助けをするために存在する。

作品が図書館の蔵書に置かれている場合、これらの作品を図書館が支持していると考えてよいか?

  図書館の蔵書に特定の作品が置かれているということが、その作品に表現されている思想・描写を支持していることを意味することにはならない。図書館は、中立の立場で、全ての観点から情報を提供するという任務を遂行しているに過ぎない。図書館が「支持」するとしても、利用者には幅広い範囲の作品へのアクセスの権利が与えられている。自分の好みの作品が見つからない場合には、図書館員に助けを求めることである。

検閲と闘うためにできることは?

  周囲の状況に注意を払うことである。州政府、地域の学校や図書館の委員会、そして市議会の動きに注意を払うことである。自分の意見を市長、州議会議員や州選出の下院議員と上院議員に書面で伝えることである。地域の学校や図書館の理事会に参加することである。

*この文書は米国大使館広報・文化交流部レファレンス資料室がALAの許可を得て翻訳しています。

Source:
Intellectual Freedom and Censorship Q&A
American Library Association (ALA)
URL: http://www.ala.org/ala/oif/basics/intellectual.htm

[在日米国大使館のサイトへ掲載した日付:5/9/2007]

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