|
|
![]() |
ワシントン州最高裁判所で陳述する検察官。同裁判所は、一般的に上位裁判所、特に連邦最高裁判所の判決の執行機関とされている下級裁判所の一つ。(AP/WWP) |
![]() |
「1964年公民権法」に署名した後、マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師に握手を求めるリンドン・ B・ジョンソン大統領。この法律は、最高裁判所の判決を履行するに当たり、議会が重要な役割を果たした好例である。(AP/WWP) |
![]() |
2001年4月2日、夕食前の祈りを唱えるヴァージニア州陸軍士官学校の生徒たち。この直前、米国自由人権委員会は、学校での祈りの差し止め命令を求める訴訟を起こした。(AP/WWP) |
![]() |
連邦最高裁判所が妊娠中絶をめぐる「ロウ対ウェイド事件」の判決を出して以来、中絶支持派と反対派の戦いは、議会、司法界、および政治のあらゆる舞台で繰り広げられている。 (AP/WWP) |
![]() |
マスコミの注目度が高いと、被告側弁護人は、事件に対する偏見を避けるために、しばしば裁判地の変更を求める。例えば、飲酒運転による自動車事故のような場合である。 (AP/WWP) |
裁判所が判決を下すと、裁判官や役人や一般市民をさえ含むさまざまな個人が、その判決の履行を求められる。
本章では、判決の履行過程に関するさまざまな行動主体と、司法政策に対する彼らの反応、そして彼らが裁判所の決定に対応する手段などについて考察する。
裁判所の判決の性格により、それが司法政策に及ぼす影響は、極めて狭いこともあれば、広範に及ぶこともある。自動車事故で生じた損害の賠償を求める訴訟は、事故当事者本人と、多分その身近な家族だけに直接影響を及ぼす。それに対し、有名な「ギデオン対ウェインライト事件 」(1963年)の判決は、何百万もの人々に何らかの形で直接の影響を与えた。連邦最高裁判所は、このギデオン事件で、生活に困っている人たちが重罪で起訴された場合、州政府は、その被告人に弁護人を付ける義務がある、と裁定した。被告(人)、裁判官、弁護士、納税者など、多くの人たちが、この司法政策の及ぼす影響を実感した。
控訴裁判所、その中でもとりわけ連邦最高裁判所は、政策決定に最も関わりそうな裁判所であると見られることが多い。一方、事実審裁判所は、一般に日常業務をこなす機関と見られている。しかし、下位裁判所の裁判官は、控訴裁判所から独立性をかなり付与されている。ある調査によると、下位審裁判官は「上位裁判所の主導に従った方が、都合がよいと思わない限り、それに従おうとしない、自立した行動主体」と見ることもできる。
下位裁判所の裁判官は、上位裁判所の政策を履行するに当たり、なぜそれほど大きな裁量を持っているのだろうか。その回答の一部は、米国司法制度の構造に見出すことができるかも知れない。米国の裁判官は、常に、独立性、分権化、そして個人主義を特徴としてきた。例えば、連邦裁判官は、終身制で身分が保障され、伝統的に、自分が適当と考える方法で法廷を運営できる。懲戒処分はほとんどなく、連邦裁判官には歴史的に見て、弾劾の心配はほとんどない。州の事実審裁判所の裁判官は、地位を維持するためには、一般的に、有権者を満足させさえすればいいのである。 下位裁判所の裁判官が裁量を行使できるのは、上位裁判所の決定内容自体の産物かも知れない。例えば、学校における人種隔離の撤廃事件で有名な「ブラウン対トピーカ教育委員会事件 」(1954年)で、最高裁は、公立学校は隔離撤廃の取り組みに迅速かつ合理的に着手し、その後は極めて慎重な速度でその撤廃を実現すべきだと述べた。しかし、判決を履行する責務を持つ連邦地裁の裁判官たちにとって、迅速かつ合理的な着手とは何を意味するのか。学校区がどのくらい速く前進すれば、極めて慎重な速度で行動したことになるのだろうか。最高裁は、これらの質問に対して具体的な回答を何も示さなかった。
最高裁のすべての決定がそうだと言うわけではないが、かなりの決定には解釈の余地がある。裁判所の決定が、不明確になる理由は、いくつかある。時々、争点や対象事物が極めて複雑なため、明確な政策形成が難しいことがある。例えば猥褻性に関する事件で、ポルノは合衆国憲法修正第1条に基づく言論の自由として保護される権利を持たない、とする判決を最高裁が下すのにほとんど苦労しなかった。しかし、猥褻性の定義となると、これは別問題だった。猥褻に関する裁判官の意見で、「好色的興味」、「明らかに有害な」、「同時代の社会的基準」、「社会的価値に資することなく」などの語句が一般的に使われるようになってきたが、これらの言葉はいずれも、主観的解釈の余地があまりに大きい。
合議法廷で確立される政策がしばしば不明瞭なのは、多数意見が別の複数の判事の意見を満たすように書かれるからである。また多数意見に、推論過程が異なる同意意見が、いくつか加わることもある。このようなことが起きると、下位裁判所の裁判官には、従うべき明確な先例がないことになる。例えば、「ファーマン対ジョージア州事件」 (1972年)で、最高裁は、いくつかの州の死刑を無効としたが、その理由はさまざまだった。何人かの判事は、死刑は合衆国憲法修正第8条が禁じている「残酷で異常な刑罰」に相当するという理由で、死刑それ自体に反対した。他の判事は、州法を無効にする票を投じたが、それは、適用が差別的という理由からだった。1972年のこの判決が生んだあいまいさが、下位裁判所の裁判官だけではなく、州議会にも影響を及ぼした。各州が、死刑に関するじつに多様な制定法を相次いで通過させたため、かなりの数の新たな訴訟が提起されることになった。
下位裁判所の裁判官が、上位審判決の履行過程でどのような裁量を行うかは、上位裁判所の政策方針の伝達方法によっても影響を受ける。確かに、控訴事件の原判決を下した第一審裁判所には、控訴審理判決は伝わるだろう。しかし、他の裁判所にその判決を伝えるための組織的かつ公的な努力は行われていないし、下位裁判所の裁判官が意見書のコピーを入手できるようにもなっていない。新しい司法の政策を含む決定は、印刷物として、あるいはインターネット上で、一般国民が入手できるようになっている。裁判官も、時間と意欲があるなら、一読するのが望ましい。
最高裁、連邦の下位裁判所、および州の控訴裁判所の意見書は、かなり多くの裁判所とロースクールや大学図書館で閲覧することができる。また、インターネット上でも入手可能なものが増えている。しかし、広く入手可能になったからといって、それらが読まれて、明確に理解されているという保証はない。治安判事や少年裁判所裁判官など下位の州裁判官の多くは、弁護士資格を持っておらず、複雑な司法決定に目を通す興味も能力も、ほとんどない。最後に、上位裁判所の決定に興味を持ち、理解できる能力を備えた裁判官でさえ、すべての新しい意見に精通する時間が十分にないのが現状である。
こうした問題を抱えているとすると、裁判官はどのようにして上位裁判所の決定を知るのだろうか。一つの方法は、下位裁判所で訴訟を扱う弁護士を通して聞くことである。一般に原告と被告の弁護士は、判事の前で、それぞれの弁論にふさわしい判例を提示するものとされている。また、法律事務官を抱える裁判官は、彼らに上位裁判所の最近の決定について調査してもらうこともできるだろう。
従って、上位裁判所の方針の中には、単に下位裁判所の裁判官が気づかないために、迅速かつ厳格に履行されないものもある。下位裁判所の裁判官が気づいたところで、それは彼らが望むほど明確ではないかも知れない。いずれの理由にせよ、司法の政策を実施しなければならない立場にある下位裁判所の裁判官は、かなりの裁量を行使できることになる。
ある研究者は、「重要な政策の発表は、ほとんど必ず、政策立案者以外の人による解釈が必要となる」と書いている。確かにこれは、控訴裁判所が確立した司法政策の場合に当てはまる。下位裁判所の裁判官が初めて裁量を行使するのは、上位裁判所の決定が何を意味するのかを解釈する時かもしれない。
下位裁判所の裁判官が上位裁判所により確立された政策を解釈する方法は、いくつかの要因によって決まる。多くの政策は、明確に述べられていない。従って、分別のある人でさえ、どのような解釈が適切かをめぐり意見が分かれるかもしれない。しかし、不明瞭さがないはずの判決文でさえ、裁判官によっては、異なった解釈をすることがある。
裁判官自身の個人的な政治的志向もまた、上級裁判所の政策の解釈に影響を及ぼす。裁判官は、それぞれ独自の特徴のある経歴を持って職務に就く。共和党員もいれば、民主党員もいる。寛大な裁判官もいれば、厳格な人もいる。出身地域も異なる。検察官だった人もいれば、主として被告側弁護士、あるいは企業弁護士だった人もいる。要するに、裁判官の経歴は、特定の政策に対する好みに影響する。かくして、下位裁判所の裁判官は、上位裁判所の政策の中に自分の考えを読み込むこともある。その結果として、ある方針は一部の裁判官によって熱心に支持されるが、ほかの裁判官からは完全に拒否されることになる。
上位裁判所の政策を好感して受け入れる裁判官は、当然、それを履行して、恐らくそれを拡大解釈しようとするだろう。裁判官の中には、地域社会では不評でも、自分が信じる政策を実行するために、社会的に阻害されたり、さまざまな嫌がらせを受けたりすることをいとわない人もいる。
上位裁判所が決定した政策が気に入らない裁判官は、その政策を時々しか、あるいはやむを得ない時しか実行しないかも知れない。上位裁判所が確立した政策に基本的に賛成しない裁判官は、いくつかの対抗策を講じることができる。1つは、めったにないが、無視することである。要するに、上位裁判所の考えを下級裁判所での審理に、ただ適用しただけのことである。
上位審の政策をこのように完全に無視することは、極めて異例である。これほど極端ではない策もいくつかある。上位審の政策の適用を避ければいいのである。細かな解釈や、手続き上の理由で事件を却下すれば、裁判官は、訴訟の内容について判決を下す必要がなくなる。例えば、原告は提訴に必要とされる当事者適格を欠いているとか、問題は公判開始前に解決済みであり、争訟性を喪失している、などと判断する。下位裁判所の裁判官は、上位裁判所の決定の一部を「傍論(dicta)」(ラテン語で「権威ある宣言」の意)と断定し、その受け入れを回避することがある。「傍論」は、判決文の中心的論拠とはならない意見の一部を意味する。判断の指針としては有益だが、拘束力を持つとは見なされない。ただし、何が「傍論」なのかについては、当然のことだがさまざまな解釈の余地がある。
特定の政策を基本的に承服しない裁判官が用いる別の手段は、それを可能な限り狭く適用することである。下位裁判所の裁判官が、判決を下す際の1つの方法は、上位裁判所の事件と当該下位裁判所の審理案件の間には事実の相違があるため、上位審の判例は支配力を持たない、と否定することである。つまり、2つの事件は内容が異なるので、判例に従う必要はないというわけである。
下位裁判所は時々、上位裁判所が明確な規準を示していない事件について判決を下さなければならない。このような場合、下位裁判所の裁判官は、自分が審理する事件の判決を下すにあたって、別の指針を探さなければならない。ある研究によると、こうした下位裁判所の裁判官は、自分の所属政党、自分の思想、あるいは地域的な規範などを含む、さまざまな広い要素から、特定の事件について判決を下す際の手掛かりを得ている」という。
連邦裁判所がひとたび判決を下すと、議会はさまざまな形で反応できる。議会は、判決内容の履行を支援することも、妨害することもできる。加えて、裁判所の法解釈を変えることもできる。そして最後には、当該裁判官に対する個人攻撃を行うこともできる。
事件の判決を下す過程で、しばしば裁判所は、連邦制定法をどう解釈するかを求められる。しかし時々、裁判官の解釈が、議会の過半数が意図したところと異なる場合がある。そうなった場合、議会は、裁判所の最初の解釈を実質的に覆す新しい法律を制定することによって、制定法を変更することができる。しかし、制定法に関して連邦裁判所が下す判決の大多数は、連邦議会によって変更されることはない。
連邦裁判所は、制定法に関して判決を下すほかに、憲法の解釈も行う。これに対して議会は、気に入らない憲法上の解釈の影響を覆すか、変更させるために、2つの方法を持つ。第一に、議会は、憲法上の問題を回避するために作られた別の制定法で対抗することができる。第二に、憲法上の決定を合衆国憲法の修正によって直接、覆すことができる。長い間、こうした修正が数多く導入されているが、連邦議会の上下両院で修正案発議に必要な3分の2の票を得たうえで、さらに4分の3の州の承認を得るのは容易なことではない。裁判所の歴史上、最高裁の判決が憲法修正によって覆されたのは、4回だけである。
連邦議会は、裁判所の判断への対応として、連邦裁判所全体や、特定の裁判官個人を攻撃したりすることがある。これらの攻撃は、議員による口頭での非難や、現職裁判官に対する弾劾の脅しや連邦裁判官候補者の司法哲学に対する特に念入りな調査などの形をとる。
しかしながら、連邦議会と連邦裁判所は、もともと敵対関係にあるわけではない。議会が連邦裁判所に報復するのは、かなりまれなことで、多くの場合、2つの機関は、同じ政策目標に向かって協力する。例えば議会は、1964年、「公民権法」を制定し、学校での人種隔離撤廃に関する最高裁の政策を履行することに重要な役割を果たした。この法律により、司法省には、「ブラウン対教育委員会事件」の判決に従わない学校区に対し、訴訟を起こす権利が与えられた。また、「公民権法」第6章は、人種隔離を行っている学校に対し連邦政府の資金援助打ち切りの脅しをかけることによって、隔離撤廃の戦いで強力な武器となった。1965 年に議会は、「初等中等教育法」を通過させることにより、公立校での人種隔離廃止政策に対する支持を一層強化した。この法律により、連邦政府は、公教育への財政支援で一層大きな役割を果たすことができるようになった。連邦資金打ち切りという脅しは、隔離制度を維持する多くの学校区にとって深刻な問題となった。こうした連邦議会の支持は重要だった。なぜなら、政府の複数の部門が結束すれば、政策が順守される可能性が高まるからである。
大統領が司法の決定の履行を直接求められる場合も、時にはある。その一例が、「アメリカ合衆国対ニクソン事件 」(1974年)である。上院委員会が首都ワシントンにあるウォーターゲート・ホテル内の民主党本部への不法侵入に関する隠蔽耕作について調査した結果、大統領側近たちの関与が明らかになった。また、この調査で、リチャード・ニクソン大統領が大統領執務室に自動録音装置を仕掛けたことも判明した。ウォーターゲート事件を調査する特別検察官に任命されたレオン・ジャウォスキーは、側近たちの訴追に必要な証拠と思われる特定テープの提出を求める召喚状を発した。ニクソンは、大統領特権と、大統領決定につながる協議の秘密保持の必要性を理由に、テープの提出を拒否した。最高裁の決定により、大統領は、政府高官たちの裁判を担当していたジョン・J・シリカ判事にテープを提出するように命じられた。ニクソンは、最高裁の命令に従った。かくして決定は実施され、ただちにニクソン失墜に結びついた。それから2週間足らずの、1974年8月、ニクソンは大統領の職を辞任した。
司法の政策の執行に直接関わらない場合でも、大統領は、自らの影響力を行使することができる。大統領は、その地位と知名度により、言葉や行動だけで、新しい司法政策への支持ないしは抵抗を促すことができる。
大統領は、裁判所に直接の影響を及ぼす法律を提案することができる。例えば、フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、自分の政権の立法議案を支持してくれる判事で最高裁判所を「満杯にする」ため、最高裁の判事の定員増を議会に働きかけたが、失敗に終わった。
また大統領は、上院の助言と承認を得て、すべての連邦裁判官を任命することができるため、この任命権限を通して連邦の司法政策に影響を及ぼす機会が与えられている。
大統領は、行政府の一部である司法省の活動を通して、司法政策の立案に影響を及ぼすことができる。司法長官とその配下のスタッフは、大統領の全体的な政策目標に沿って、特定の問題を強調することができる。このことは逆に、司法省が裁量によって、特定の政策を法廷で積極的に追求せず、軽視することもできることを意味する。
司法政策立案に影響を及ぼす地位にあるもう一人の高官が、司法次官(Solicitor General=訴務長官ともいう)である。歴史的に、司法次官は、司法府と行政府の双方に二重の責任を持つと見られてきた。最高裁との密接な関係から、司法次官は、「10番目の判事」と呼ばれている。同次官は、連邦制定法および憲法について、裁判所に助言を与える相談役と見なされる。また、訴務長官は、連邦政府が当事者である事件について、どの事件を最高裁に上訴するかの決定を行う。さらに、法廷助言者として意見書を提出し、その中で最高裁判所に対して、訴訟相手による裁量上訴の請願を承認ないしは却下することを促したり、特定の司法政策を支持ないし否定するよう促したりすることができる。
裁判所の多くの決定は、行政府のさまざまな省や機関、局、委員会によって、実際に履行される。例えば、「フロンティエロ対リチャードソン事件」(1973) での最高裁の判決は、アメリカ空軍に対して大きな履行の役割を果たすよう求めた。フロンティエロ事件は、空軍の既婚男性職員に支給する給付金を、既婚女性職員には支給しないという議会制定法を問題にした事件だった。シャロン・フロンティエロ中尉は、この規定は性差別にあたるとして異議を申し立てた。が、アラバマ州の連邦地裁は、空軍の方針を支持する判決を下した。フロンティエロ中尉は、最高裁に上訴した。最高裁は、連邦地裁の判決を覆し、空軍に新たな規定を履行するよう命じた。
司法政策の履行は、連邦政府とともに、しばしば州政府によっても実践される。「ギデオン対ウェインライト事件」(1963年)、および「ミランダ対アリゾナ州事件」(1966年)など、最高裁判所が刑事事件の法の適正な過程に関して下した多くの決定は、州の裁判官やそのほかの州政府当局者によって執行されてきた。例えば、州と地域の警察官は、被疑者は自分の権利について知らされなければならない、とする「ミランダ・ルール」の判決を実施するにあたり、大きな役割を果たしてきた。重罪裁判において、経済的な余裕のない被告人には、州の費用で弁護士をつけるべきだとするギデオン判決は、 公設弁護人、地域の弁護士協会、および個々の裁判所選任弁護人などによって履行されてきた。
州議会議員と行政責任者もまた、この判決を履行するプロセスに、頻繁に関与してきた。不法行為が行われたかどうかを判定する裁判官は、不法行為を矯正するためにさまざまな手段を選ぶことができる。より一般的な選択肢は、「段階的矯正」、「実績基準」、および「特定矯正措置」の3つである。段階的矯正は、問題に取り組み、解決策を打ち出すために、諮問委員会、市民参加、教育プログラム、評価委員会、紛争解決手続および特別補助裁判官(special master)などを用いるもので、特定の矯正行動は定めない。実績基準は、具体的な矯正手段を求めるもので、例えば、一定数の住宅や学校とか、刑務所や精神病院における一定水準の雇員数の確保などがある 。これらの目標達成の具体方法は、裁判で指名された役人の裁量に任される。特定矯正措置の例としては、バス通学や通学区の変更、刑務所の独房や病室の広さや居住条件の改善などが挙げられる。この種の矯正の場合、被告人には、具体的矯正措置や、その達成方法に関して選択の余地がない。
これらの矯正命令の履行は、少なくとも部分的に、しばしば州議会の手にゆだねられる。刑務所に一定数の独房や看守を確保するよう求める命令は、新たな州財政支出を必要とするかもしれず、そのためには議会の予算措置が必要になる。同様に、より近代的な精神病院の建設や最新医療機器の供給を求める命令は、州の支出の増加を意味する。知事もまた、これら矯正命令の実施にも関わることになる。州の予算編成手続きにもともと深く関わっているからである。さらにまた知事は、法律に署名したり、拒否権を発動したりする立場にある。
裁判官は、矯正命令の実施を補助する特定の個人を任命することがある。こうした特定任務を与えられる特別補助裁判官は、通常、一定の決定権限が与えられる。場合によっては、裁判所指名の監視員が用いられることもあるが、これによって裁判官が、意思決定の責務から免除されるわけではない。監視員は情報収集者であり、被告が矯正命令を順守している状況について報告する。矯正命令が実行されていない場合、あるいは、一、二の障害で矯正の進行に支障が出ている場合、裁判官は、特別の管財人を任命し、通常の組織的な障壁を無視して仕事が実行できるような権限を与える。
司法政策の履行に深く関与してきた人々がいる。それは何千人もの男女で構成される全米の各教育委員会である。最高裁の政策を遂行しようとして、教育委員会のメンバーが激しい論争に巻き込まれた例として際立つのが、次の2つの主要政策である。
第一の例は、1954 年、最高裁が公立学校での人種隔離を禁止する判決を下した時、教育委員会と教育長は、連邦地裁判事とともに先頭に立ち、判決の履行の先頭に立った。この過程における彼らの役割は、全米の何百万人もの就学児童、両親、および納税者の生活に影響を及ぼした。
教育委員会を巻き込んだ二番目の分野は、公立学校における宗教に関する最高裁の政策である。最高裁は、「エンゲル対ヴァイテイル事件」(1962)で、ニューヨーク州に対し、同州が作成した祈りの言葉を公立学校で毎日暗唱させることは、違憲であるとの判決を下した。いくつかの学校区は、この違憲判決に対抗して、代わりに聖書の一節や「主の祈り」(Lord‘s Prayer )を暗唱させることにした。彼らの論法は、主の祈りも聖書も州政府が作成したものではないので、最高裁の方針には違反していないというものだった。しかし、最高裁判所は1年後、そうした宗教活動を是認することが憲法違反にあたるのであり、州が祈りを作成したかどうかは決定と関係ないと裁定した。
最高裁の決定が究極的にどのような重みを持つかは、主としてそれが米国の社会全体に与える影響によって決まる。これまでに重要な影響があったいくつかの政策は、人種的平等、刑事訴訟での法の適正な過程、人工中絶などである。
多くの人々は最高裁判所が、「ブラウン対教育委員会事件」で下した判決が、米国の人種的平等への動きの推進力になったと指摘する。しかし、連邦議会と行政府もまた、最高裁が決めた公立学校での人種隔離撤廃政策を履行する過程に関わった。ただ、それでもなお、ブラウン事件の判決に伴い、人種的平等という国家政策追及の口火を切った野は、やはり各裁判所だったのである。
最初のうち、各裁判所の決定は曖昧なことが多かったため、新しい政策の抜け道を探すものが現れた。しかし、連邦最高裁判事と多くの連邦下位裁判所の裁判官たちは、一貫して、人種的平等を全国的な政治課題にし続けた。彼らの粘りはブラウン判決から10年後の1964 年、「公民権法」が議会を通過したことで報われた。ジョン・F・ケネディ大統領(1961~1963年)とリンドン・B.ジョンソン大統領(1963~1969年)に強く支持されたこの法律によって、議会と大統領は、米国における人種的平等の支持者として、しっかりと記録に名を残すことになった。
政策立案過程における連邦裁判所の重要性の別の側面を如実に示すのが、ブラウン判決とその後の諸事件である。裁判所は何年かにわたり、事実上、人種的平等を孤軍奮闘で追求してきた形だったが、裁判所の判決が無視されたわけではない。チャールズ・A・ジョンソン およびブラッドリー・C・カノンは、著書『司法政策:履行と影響』(Judicial Policies: Implementation and Impact)の中で、次のように述べている。「ブラウン判決はきわめて注目度の高い判決で、米国の歴史において最も偉大な社会改革の一つを生み出そうとする司法的試みだった。もちろん、それからの年月、アフリカ系米国人とその支持者たちは、学校から人種隔離を廃止するよう、ほかの政府機関に大きな圧力をかけた。実際、その圧力は、まもなく学校をはるかに超え、米国社会の生活のあらゆる面で人種統合を求める運動へと発展して行った。」
刑事訴訟法上の適正な過程(デュープロセス)の分野における司法政策の策定は、アール・ウォーレン(1953~1969年)が連邦最高裁長官を務めていた時期と密接に関係している。この時代を評して、アーチボルド・コックス元司法次官は、「これほど徹底的な刑事訴訟の改革が、これほど短期間で行われたことは、かつてなかった」と述べている。ウォーレンが長官を務める、いわゆる「ウォーレン・コート」の判決が主に目指したのは、刑事訴訟における被告人の取り扱いに関する州の手続きを変更することだった。ウォーレン長官が最高裁判所を去るまでに、広範な活動を処理するために既に確立されていた。特に、影響力が大きかったのが、「マップ対オハイオ州事件」(1961年)、「ギデオン対ウェインライト事件」および、「ミランダ対アリゾナ州事件」だった。マップ事件での判決は、長年にわたって連邦政府に適用されてきた「証拠排除法則」を州レベルまで拡大した。この「法則」の適用により、州裁判所は、警察が不法に押収した証拠物件を公判の証拠から排除するよう求められるようになった。一部の、とりわけ大都市の警察署は、証拠収集にあたって警察官が遵守すべき特定の基準を確立しようとしていた。だが、そうした努力は普遍的なものにならなかった。警察の慣行まちまちで、また、何が適法な捜索・押収に相当するかという点で下位裁判所の解釈にも違いがあり、マップ判決の履行は、合衆国内では必ずしも一貫したものにはならなかった。
多分、マップ判決が期待された影響力を削がれた、さらに重大な理由は、最高裁判事の中に「排除法則」を強く支持する基盤がなかったことである。もともと判決は、全員一致によるものではなかった。そして一部の判事は何年にもわたり、公然と「排除法則」を批判した。しかも、その後の最高裁の決定によって、合法的な捜索の範囲が拡大し、「排除法則」の適用可能性が制限されることになった。
「ギデオン対ウェインライト事件」の判決は、州裁判所における重罪事件の審理で、生活に余裕のない被告人に弁護士を付けなければならないと判断した。多くの州では、この判決以前でさえ、そのような裁判では、日常的に弁護士をつけていた。ほかの州も、さまざまな方法でこの判決を順守し始めた。多くの地域で、公設弁護人制度が確立された。そのほかの場所では、地元の弁護士協会が裁判官と協力して、最高裁の新しい政策を順守するための何らかの方法を実行した。
ギデオン判決の影響力の方が、マップ判決よりも、一層明確で一貫性がある。その理由の一つは、間違いなく、ギデオン判決が求めた政策を、多くの州がすでに実施していたからである。要するに、マップ判決が確立した政策よりも、広く受け入れられたのである。また、ギデオン判決で発せられた政策の方が、マップ判決の政策よりも、明確に定義されていた。最高裁は、公設弁護人と裁判所選任弁護士のどちらをつけるべきか、明確にしなかったが、経済的に余裕のない被告人に弁護人の援助を提供しなければならない点については、やはり明快である。ちなみに、次に首席裁判官に就任したウォーレン・バーガー(1969~1986年)の下でも、最高裁判所は、暮らしの豊かでない被告人に弁護人をつけるという「ウォーレン・コート」の判決から後退しなかった。この点で最高裁の態度は、マップ判決で取り組んだ捜索・押収の分野とは異なっていた。これらのすべての要因により、ギデオン裁判で発表された政策の方が、より認知度の高い影響をもたらしたのである。
「ミランダ対アリゾナ事件」で、ウォーレン長官の最高裁は、さらに一歩進んで、警察官は身柄を拘束した被疑者に憲法上の権利を告知しなければならないという判決を下した。その一つの権利が、取り調べ中に弁護人を立ち合わせることである。また、被疑者に告知しなければならない事項として、①黙秘権があること②自分の発言が法廷で使用される可能性があること③被疑者に弁護人を依頼する資力がない場合には、州の費用で弁護人をつけてもらえること④いつでも取り調べに対して答えることをやめる権利があること―がある。これらの要件は極めて明確な表現になっているので、警察は実際に、それをコピーしたカードを作り、警察官がシャツのポケットに入れて持ち運べるようにしている。被疑者の身柄を拘束した警察官は、このカードをポケットから取り出し、被疑者にその権利を読み上げさえすればいいのである。
警察官が逮捕した被疑者に対し、ミランダ判決による諸権利を読み上げているかどうかという点に関する限り、最高裁の政策に対する順守度は高い。しかし、研究者の中には、こうした方法で被疑者に権利を告知する方法はいいのか、とミランダ判決の影響を疑問視するむきもある。被疑者にカードを読み上げることと、最高裁判決の要件の意味を説明した上で、被疑者に理解させることとは、まったく別だ、というわけである。そうした見方をすれば、ミランダ訴訟で発表された政策の影響は、さほど明確ではないのである。
「ウォーレン・コート」の後を継いだ「バーガー・コート」は、前任者のミランダ判決を強力に支持しようとする気配が全くなかった。ミランダ判決が覆されたわけではないものの、その影響力は幾分か制限された。例えば、「ハリス対ニューヨーク事件」(1971年)で、バーガー・コートは、「ミランダ警告」(Miranda warning)を与えられなかった被疑者の供述も、当人の証言の信憑性を争うために法廷で使用できるという判決を下した。その後最高裁は、ウィリアム・レンクイスト長官(1986年~)の指揮の下に、「ディビス対合衆国事件」(1994年)では、被疑者が弁護士の立ち会いを曖昧な形で要請した場合、警察は尋問を中止する必要はない、とする判決を下した。
連邦議会もこうした判決に反応した。この判決から2年後、議会は立法措置をとり、要するに、被疑者の発言を証拠採用できるかどうかは、「ミランダ警告」の有無ではなく、供述が自発的だったかどうかだけで決まる、という制定法を施行した。この制定法は、1999年に、第4巡回区控訴裁判所が扱った銀行強盗事件の裁判まで、ほとんど注目を浴びなかった。この裁判の被告人は、取り調べの前に「ミランダ警告」を受けなかったという理由で、FBIに対して行った供述を削ってほしいと申し出た。これに対し、同控訴裁は、本人は自発的に供述しており、制定法の要件を満たしていると判断した。この控訴裁の判決は、連邦議会制定法と最高裁のミランダ判決のどちらに従うべきかという問題を提起した。2000年6月 26日、連邦最高裁は、ミランダ判決が最高裁の憲法上の決定である以上、連邦議会の決定によって覆すことはできないと言い渡した。換言すれば、ミランダ判決は、依然として、州と連邦裁判所において、取り調べ中に行われた供述が採用されるかどうかの決め手になっている。
要約すると、刑事裁判に関する最高裁の政策の影響は、いくつかの理由により、複雑なものになっている。ある場合には、政策の不明瞭さが問題となる。また、政策に対する確固たる支持が判事の間で明らかに欠如している場合もあれば、長官が代わると、支持が薄れたりする場合もある。これらすべての変数が作用しあって、政策の履行者は、広い裁量を持つことになるのである。
最高裁は、「ロウ対ウェイド事件」(1973年)で、女性の3期の妊娠期間のうち、1期目(3カ月)までは女性が中絶する絶対的権利を持つが、次の2期目は、母親の健康を保護するために、州が中絶手続きを規制することができ、最後の3期目には、母親の生命や健康が危険な状態の場合を除き、州が中絶を規制ないしは禁止することもできる、という判決を下した。
この判決に対する反応は素早く、その多くは、否定的なものだった。人々の反応は、個々の判事に対する手紙や、公開の演説、連邦議会での決議案の提出、あるいは連邦議会での「胎児の生存権」を盛り込んだ憲法修正を求める動きなどの形で表れた。裁判所の判決が議論を呼ぶ内容だったことから、各病院は、妊娠中絶についての方針を変更せず、裁判所の決定に諸手を挙げて賛成する態度は見せなかった。
最高裁判の妊娠中絶政策に対する反響は、いまだに続いているだけでなく、新しい分野に舞台を移している。最近のいくつかの大統領選挙では、二大政党の綱領と大統領候補は、妊娠中絶問題に関して正反対の立場を取っている。民主党の綱領と指名候補は、おおむね「ロウ対ウェイド事件」の判決 に支持を表明しているが、共和党の綱領と指名候補は反対の立場である。
連邦議会もまた、最高裁の妊娠中絶判決に対する熱心な活動の舞台となってきた。「生命支持派」(プロライフ派―pro-life)として知られる妊娠中絶反対(antiabortion)勢力は、「ロウ対ウェイド判決」を覆すための憲法修正を議会で通過させることはできなかった。しかし、連邦資金を選択的妊娠中絶のために支給することを禁じるために、ロビー活動を行い、歳出配分承認法案の修正に成功した。1980年に、最高裁は、5対4の投票で、こうした支出措置の合憲性を支持した。
「ロウ判決」を受けて、その後の立法のほとんどは、州レベルで制定された。ある報告によると、最高裁判決後2年以内に、32州が妊娠中絶に関する計62の法律を通過させた。そのほとんどが、中絶手段の制限、中絶手続きの規制、あるいは一定条件下での中絶禁止を目的とするものだった。
利益団体の活動も、「ロウ判決」の後で、劇的に増加した。判決に反対する団体は、しばしば判決反対の大衆デモを組織し、後には、該当のクリニックにピケを張り始めた。一方、「ロウ 判決」に賛成する利益団体は、法廷での活動に焦点を当てる蛍光が強かった。
妊娠中絶問題をめぐる戦いは、法廷や政治運動、議会を舞台に争われてきたが、他方では、中絶を行っている医療施設でのデモ行動や施設の封鎖といった、より直接的な手段を選ぶ者もいた。しかし最高裁は、このようなデモには、時間、場所、および方法に妥当な制限を課すことができる、との判決を下した。
この立場は、2000年6月28日、最高裁判が、コロラド州制定法を支持することによって再確認された。これは、医療施設の100フィート以内で、相手個人の同意なしに故意に接近し、チラシを手渡したり、サインを掲げたり、口頭で抗議したりすることを違法とするものだった。
一部の司法政策は、他の司法政策に比べて、より大きな影響を社会に及ぼす。裁判官は、憲法の起草者が想定した以上に、国家的な政策の発展に大きな役割を演じる。しかし「米国の裁判所は全能の機関ではない」と、ジェラルド・N・ローゼンバーグは、著書『空虚な期待:裁判所は社会変革をもたらすことができるか』(Hollow Hope: Can Courts Bring About Social Change? )の中で言い、次のように記している。「米国の裁判所は、厳しい制約をつけられて設計され、権力分立の政治組織の中に置かれた。裁判所に重要な社会改革を実現してほしいと要望することは、その歴史を忘れてほしい、制約があることを無視してほしい、と要望するに等しい。」
こうした政治的・社会的な要求・期待がせめぎ合うこの複雑な枠組の中で、裁判所は政策立案の役割を担っている。立法府と行政府は、時には、社会の特定階層の要求に耳を傾けないことがある。そうした個人や集団に残された唯一の選択肢は、裁判所に頼ることである。例えば、市民的権利を求める組織は、最高裁が教育現場での隔離廃止運動を支持してくれる法廷なのだとわかるまで、まったく実質的な前進がなかったのである。
市民的権利を求める団体が、連邦裁判所で一定の成功を収めたのに伴い、ほかの団体も、戦略として、訴訟を用いることを見習うようになった。例えば、女性の権利拡大を支持する団体は、少数派グループが確立した運動のひな形を踏襲し、裁判所に苦情の申し立てを持ち込み始めた。かくして人種間の平等を求めるという比較的限定された要求として始まった取り組みは、そのほかの社会的に恵まれないグループによる平等要求運動へと拡大したのである。
つまり、明らかに裁判所は、政策的な判決を打ち出すことによって国民の関心をそこに向けさせ、ほかの政策立案者たちがその問題で何も行動に移していないと強調することができる。こうした形で裁判所は、ほかの立法、行政部門に対して政策立案の権限を行使するよう促すことができる。裁判所は、継続的に2弾、3弾と判決を出すことにより、特定の政策を追求する決意を示し、ほかの政策立案者にもその努力に加わるよう、促し続けることができる。
すべてのことをあれこれ考慮してみると、裁判所というものは、やかましい論議を呼ばない狭い範囲の政策を掘り起こし、履行することに、最も適した機関だと思われる。「ギデオン事件」で確立された政策が、その良い例である。州の刑事裁判で、経済的に余裕のない被告には弁護士をつけるべきだという判決に対し、強い抗議の声は全く上がらなかった。しかもこの判決は、裁判官や弁護士たちの支持を第一に必要とする政策であり、連邦議会や大統領による行動は必ずしも必要ではなかった。他方、社会のすべての階層の平等を求める政策は、あまりにも幅が広く、また論議を呼ぶものであるため、司法の枠を越えざるを得ない。従って裁判所は、政策立案過程の重要な役割を担うものの、やはりその一部分に過ぎないのである。



リサーチ・レファレンス




