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米国の地理の概要 - 第12章
人の住まない内陸部

  ロッキー山脈の東側の斜面から西のシエラネバダ山脈(カリフォルニア州)、太平洋北西部のカスケード山脈を経てアラスカまで、人口がまばらという点で米国最大の地域が広がっている(地図:28K)。平均人口密度が低いことが、この地域を際立たせる最大の特徴である。実際には、この地域の地理を構成するその他の要素には場所によって大きな違いがみられる。岩だらけの土地が続き、そのあちこちに広い平らな部分を持つ高原が点在しているところもある。年間降水量も一定ではなく、アイダホ州北部では1250ミリメートルを超えるが、高原地方では250ミリメートルに満たない。この地域の住民はほとんどがヨーロッパ系だが、南部はヒスパニック系やアメリカン・インディアンの比率が高い。灌漑農業と牧畜が重要な地域もあれば、製材業、観光業、鉱業が経済活動の大部分を占める地域もある。

  この広大な地域には、米国で最も風光明媚な場所がいくつかある。この地域に対して人間は局地的には重要な影響を及ぼしているが、自然環境の様々な素晴らしさを前にして、人間はすっかり影が薄くなっている。

厳しい環境

  東部出身の米国人は、激しい起伏がめったにない、ゆったりとした地形の土地に慣れている。たとえ山があっても、ふもとから頂上までの標高差が1,000メートルを超えることはほとんどない。対照的に、西部の内陸部では、1,000メートルを超えるほどの劇的な高低差がよくみられる。

  この地域の自然地理的要素の2つ目は、土地の険しさである。米国東部では山のほとんどが丸みを帯び、同じ形をしているが、西部の山々は斜面が急でほぼ垂直になっており、その頂上の多くは、ぎざぎざの刃が空に突き出ているように見える。このような違いが生まれたのは、山の年齢も一因である。西部の山は、すべてとは言えないが、そのほとんどが東部よりもかなり若い。従って、土地の表面を滑らかにする浸食作用にさらされてきた期間がずっと短い。

  地質年代の最も新しい時代である更新世に、山岳氷河で土壌が削られて、西部内陸部の地勢が出来上がった。いまも残る氷河の残骸を、この地域の一部で見ることができる。小さな氷河はアラスカ州南部の太平洋沿岸の山々にもっとも広く散在しているが、さらに南に下ってコロラド州のロッキー山脈中央部や、カリフォルニア州のシエラネバダ山脈でも見ることができる。

  高山性の氷河は、標高が高い場所で形成され、氷のかさが増すに従って徐々に斜面を下って流れる。この移動する氷は、大きな侵食作用を起こす。この侵食パターンが十分長く続けば、両側がほぼ垂直で底面が比較的平らな、深いU字型の谷ができる。もし2つの氷河が並んで流れると、「アレート(山稜)」と呼ばれる小さなぎざぎざを特徴とする、狭い稜線ができる。シエラネバダ山脈のヨセミテ渓谷は、氷河で刻まれた典型的ともいえる渓谷であり、深さ2キロメートル近くにも達する。これは、この地域で最も多く写真に撮られている高山性氷河作用の事例といえるだろう。

  「人の住まない内陸部(Empty Interior)」の大部分を占めるのは、山ではなく台地である。この地域の中で最も劇的な景観を誇る一帯は、ユタ州とアリゾナ州のコロラド川中流沿いにあるコロラド台地だろう。土地の起伏が構造的に大きく変化している場所もあるが、この地域の大部分の地下には、緩やかに傾斜する堆積岩が横たわっている。この地形的に大きな特徴は、この高原を横切って流れる「外来河川」(乾燥した環境に水という未知のもの、つまり外来のものを運び込むことから、このように呼ばれる)の侵食によって生まれた。そのうち最も重要なのがコロラド川とその支流である。この地域の環境を見れば、浸食作用を及ぼす要因として最も影響力が大きいのが河川であることはすぐわかる。従って、これらに加えて、地質学的に近い年代に、コロラド高原の広い範囲で著しい地質隆起が発生したことから、主に河川のすぐ脇に沿って、強度の下方侵食が発生した。こうして形成された渓谷は、米国有数の自然観光資源となっている。実際、アリゾナ州にあるコロラド川沿いのグランドキャニオンは、米国でもっともよく知られた自然の景勝地の1つである。グランドキャニオン国立公園では、所々で幅16キロメートル以上にもなる渓谷系が形成されている。さらに、このような堆積層の地形では、固い岩も柔らかい岩もあって浸食抵抗性が一定でないため、角張った急斜面や段丘の連なりが生まれ、この地域の特徴となっている。

  コロラド台地を起点に、南はニューメキシコ州南部とアリゾナ州を横断し、西はカリフォルニア州のデスバレーとモハーベ砂漠まで、そして北はオレゴン州とアイダホ州まで続く地域を占めているのは、「盆地と山脈の地域」である。80あまりの広くて平らな盆地を持つこの広大な一帯は、通常は長さが120キロメートル未満で、南北の方向に一直線に連なる、高さがほぼ1,000~1,600メートルの山脈が、200以上も存在する。コロラド川流域の北と西の地域はほとんどが内地排水である。つまり河川は地域内で始まって地域内で終わり、海への出口はない。その結果、この地域には周辺の山脈が浸食を受けて発生した大量の堆積物が流れ込んだ。

  更新世には、当時の湿潤な気候と、高山性氷河の氷解から生まれた湖が、この地域の大部分を占めていた。そのうち最大のボンネビル湖は、現在のユタ州北部にあり、面積は25,000平方キロメートルもあった。これらの湖のほとんどは、年間降水量の減少が河川の流量に影響し、消滅するか、面積がかなり小さくなってしまった。また、ネバダ州のピラミッド湖やユタ州のグレートソルトレークのように、今も残っている湖の多くは塩度が極めて高い。河川の流水は、溶解可能な塩分を常に少量ずつ吸収して運んでおり、通常はわずかとはいえ海の塩度を保つ役割を果たしている。しかし、この地域の湖は、川が流れ込んでくるばかりで、そこから海に流れ出る出口がないため、塩分濃度が高まることになった。面積が約5,000平方キロメートルの湖、グレートソルトレークは、ボンネビル湖の名残であり、今日では、その塩分濃度は海よりもずっと高くなっている。

  「盆地と山脈の地域」の北にあるコロンビア台地は、溶岩流が徐々に蓄積されて出来上がった。周囲を山に囲まれていたため、厚さが平均3メートルから6メートルにもなる溶岩流が、繰り返し流れ込んでは蓄積されていき、場所によっては厚さ650メートルに達するところもある。この地域には、少数の小さな火山や噴石丘は点在しているが、この辺の火山活動が残した主な特徴は、かつての溶融物質が大量に流れ出た跡である。ここでも、河川の浸食作用で、深い急斜面の渓谷が作られている。

  このように浸食による深い谷が所々にある高原が、ロッキー山脈と太平洋山岳地帯の間の地域を北上して、カナダのユーコン州まで続いている。アラスカ州中央部では、ユーコン川の集水域が、アラスカ山脈からブルックス山地に至る地域の大部分を占めている。表層物質は主に堆積岩である。

  西部内陸部では、降水量と標高の間に、強い相関性がある。標高が低い地域は、概して乾燥している。通常は、山の斜面の中間地点あたりで最も降水量が多い。この地域の地表水は、ほとんどすべてを外来河川に頼っている。

  地形、気温、降水量という3要素の相関関係によって、「人の住まない内陸部」全域の植生分布は、明白に標高で区分されている。最も標高が低い場所には、砂漠に生息する低木、主にヤマヨモギが生えている。はるか南の地域では、夏の終わりに、ある程度降水量が増加するため、ヤマヨモギと草地の両方がみられる。その他の場所では、ヤマヨモギと草地の両方が見られるのは、砂漠の低木地域より標高が高い場所だけである。ヤマヨモギ生育地よりも高い斜面を上ったところに低い方の樹木限界線があり、これより標高が高い場所では、樹木の成長に十分な量の雨が降る。森林が始まる地点は、草地と樹木が混在する移行地域である。ここにはピニョンマツ(松)やビャクシン(柏槇)の様な小型の樹木が生えている。標高が高くなると、これに代わって、ポンデローサマツ、コントルタマツ、ベイマツのような、より大きな樹木で構成される広大な森林が現れる。山がもっと高くなると、次第に亜高山性のモミ種のような小型の樹木に替わり、もうひとつ上の樹木限界線が現れる。この限界線より標高が上がると、強風が吹き、温度が下がり、生育期間も短くなるので、樹木は育たなくなり、やがて樹木の替わりにツンドラで覆われることになる。

  「人の住まない内陸部」では、バイソン(バッファロー)、ワピチ(北米エルク=オオジカ)、プロングホーン(羚羊)、クマ、オジロジカ、七面鳥などの野生動物が増えている。

人間の足跡

  ネバダ州では、様々な政府機関が、すべて土地の90%近くを管理している。ほかの州ではこの比率は下がるものの、政府による土地の管理という基本パターンは、「人の住まない内陸部」のどこへ行っても見られる。

  これほど広い土地が相変わらず政府の管理下にあるのは、驚くべきことではない。この地域とアラスカは、米国で相当数の人々が定住するようになった最後の地域である。土地のほとんどは農業利用できる見込みが全くなかったため、農業利用の振興を目的とした連邦政府の土地分配プログラムは意味がなかった。米国国勢調査局は1890年に、開拓辺境の終わりを宣言したが、この時点では、西部内陸部の大部分は未開拓の状態にあった。その後、製材業や鉱業といった農業以外の利害関係者が、民間の土地所有の拡大を要求し始めたが、そのころには、連邦政府は土地をほとんど無償で分配したプログラムの見直しを始めていた。

  米国の国立公園としては、イエローストーン、グレーシャー、グランドキャニオンなどが有名だが、その多くが西部内陸部にある。しかし国立公園は、公有地全体の一部にすぎない。これら公有地を最も多く所有しているのは、米内務省土地管理局で、公有地を様々な方法で利用しており、うち放牧がもっとも重要である。同局はこの地域の灌漑・水力発電ダム建設でも主役を担ってきた。

  米農務省林野部は、土地管理局に次いで多くの公有地を所有している連邦政府機関である。林野部は多目的の土地管理の中でも、従来から伐採と放牧に力を入れているが、土地のレクリエーション利用についてもその質と量を高めている。

  「人の住まない内陸部」には、ほかに2つの用途があるが、この2つの用途をみると、この地域の歴史や、この土地の質と有用性に対する米国の考え方がわかる。まず、アメリカン・インディアン保護特別保留地の中でも最大級のものが、この地域、特にアリゾナ州北部とニューメキシコ州にある。また、米国最大の爆撃および射撃訓練場のほか、唯一の原子爆弾試験施設もこの地域にある。人口がまばらであり、その他に土地の需要があまりないからである。

  19世紀の後半の数十年に、農業の辺境は西に移動したが、その際、西部内陸部の大部分はさっと通り過ぎてしまった。実際、鉱物資源、輸送手段、末日聖徒教会がなかったならば、この地を定住地として選ぶ人など、20世紀に入ってもほとんどいなかったことだろう。

  一般的にはモルモン教として知られる末日聖徒教は、1830年にニューヨーク州北部で設立された。モルモン教会と信徒は、その教義が「特殊」と見られたため、繰り返し口汚く罵倒され、暴力も受けた。モルモン教徒は自分たちの宗教を実践する場所を求めて何度も移動した。そして多くの教徒が、独立したモルモン州の創設を目指して、徒歩で西部へと進んだのである。

  西部の最初の居住地として彼等が選んだ場所は、ユタ州北部のワサッチ山脈とグレートソルトレークの間にひっそりと存在する、ワサッチ・バレーだった。ここがその後、ソルトレークシティとなる。ここは農業を始めるにはふさわしくない場所のように見えたに違いない。気候は乾燥しており、湖は塩度が高かったために役に立たず、風景は荒涼としていた。しかし、モルモン教徒はすぐさま農作業に着手し、集落は新たな入植者が来るにつれて拡大していった。出生率が高かったことも人口増の一因であった。彼等は、北は現在のオレゴン州とアイダホ州、南はカリフォルニア州ロサンゼルスに至るまでの土地に、「デゼレット(Deseret)」という名の独立国家を作ることを夢見ていた。そして、モルモン社会はソルトレークシティからずっと遠くへと広がっていった。

  最終的には、「デゼレット」を作るというモルモン教徒の夢はついえた。カリフォルニア州とネバダ州で金が発見されると、アメリカ合衆国の拡張はモルモン地域を越えて進み、モルモン教徒は再び合衆国の支配下に入ってしまった。結局「デゼレット」は6つの州にまたがって分割されてしまったのである。

  モルモン教徒は、西部内陸部での生活上の問題点に直面した最初の米国人だったが、その大部分を自分たちで解決した。中でも、灌漑の解決ほど重要なものはなかった。それより以前、米国人は広範囲に及ぶ灌漑を必要としておらず、多数の農業利用者のところまで、水を集めて運ぶために必要な技術と中央管理システムなど、ほとんどだれも知らなかったのである。モルモン教徒はワサッチ山脈の西の斜面に多数の貯水ダムを建設した。また、何キロメートルも続く運河を建設して、ダムの水を渓谷の下方にいる利用者まで運んだ。こうした努力の結果、今日では、渓谷の大部分が、農作物や樹木や芝生で覆われている。こうしたの初期の努力が、西部内陸部での灌漑ブームの火付け役となった。

  モルモン教徒は、今でも西部内陸部に多大な影響を及ぼしている。この地域に住むおよそ1,100万人の住民のうち、150万人がモルモン教徒である。

分散した経済構造

  灌漑と農業:「人の住まない内陸部」を流れる重要河川のうちのいくつかは、灌漑を筆頭とする様々な目的に多くの水が利用されている。1902年開墾法(Reclamation Act of 1902)の規定により、西部17州(アラスカとハワイを除く)におけるダム、運河、そして最終的には水力発電システムの建設を、連邦政府が支援することになった。今日では、このような連邦政府の支援プロジェクトから得られる水の80%以上が灌漑に利用されている土地の面積は、計400万ヘクタール以上に及ぶ。灌漑地のほとんどはカリフォルニア州にあるものの、大規模な灌漑プロジェクトは地域全体に散らばっている。

  スネークリバー平原で100万ヘクタールに及ぶ土地が灌漑されたことによって、アイダホ州の土地の灌漑面積は、この地域が最大となった。これにより、アイダホ州は米国有数のジャガイモとテンサイの産地になった。コロンビアバレー開墾プロジェクトでは、ワシントン州中央部のグランドクーリー・ダムに蓄えられたコロンビア川の豊富な水を使って40万ヘクタールを優に超える土地の灌漑を行い、アルファルファ、テンサイ、ジャガイモなどの作物を生産している。ワサッチ渓谷の灌漑は、モルモン教徒が開拓を始めた最初の数十年以降、ほとんど進んでいない。ワサッチ渓谷にあるおよそ40万ヘクタールの灌漑地では、主にテンサイとアルファルファが生産されている。コロラド州の西部から中央部にかけてのコロラド川流域にあるグランドバレーでは、主にアルファルファとジャガイモが生産されているが、モモなどの果樹も重要である。ワシントン州では、コロンビア川の支流、特にヤキマ川とウェナチ川が、米国で最も有名なリンゴ産地に水を供給している。

  これらの各地域が生産する作物の種類は限定されている。耕作期間が短いため、ほとんどの長期植付け作物は生産することができない。また、地元の需要が限られているため、乳製品や生鮮野菜も需要はごくわずかである。

  さらに南の灌漑地域は、灌漑用水の不足に悩まされてきたものの、北の地域と比べて大きな利点が1つある。それは、耕作期間が長いことだ。カリフォルニア州のインペリアルバレーは、年間の無霜期間が300日を超え、米国有数の作物生産地となっている。米国の冬レタスの多くはこの地域が供給しており、ブドウや綿花、ウシの肥育飼料となるアルファルファも同様である。この地域ではウシを25万頭以上飼育している。新たに建設された発電施設は、地元で豊富に手に入る牛糞を燃料にしている。インペリアルバレーの耕作期間は二毛作ができるほど長いため、もちろん全体的な生産性の向上に貢献している。

  カリフォルニア州のソルトン湖の北にあるコーチェラバレーでは、デーツ(ナツメヤシ)、ブドウ、グレープフルーツなどの作物を栽培している。コロラド川下流沿いのユマバレーでは、綿花、テンサイ、オレンジの生産が盛んである。アリゾナ州フェニックス近くのソルトリバーバレーでは、冬レタス、オレンジ、綿花が主要作物となっている。これら南の地域で栽培される作物は、ずっと北の作物と異なり、米国東部の主な市場地域にある農業の中心地との競争に直接さらされることは、ほとんどない。

  輸送サービス:西部内陸部では、地域内の交通がほとんどないため、輸送網を広げる主な目的は、できるだけ速く、安いコストで地域を横断できるようにすることだった。従って、主要高速道路や鉄道路線は、そのほとんどが地域を東西に通り抜け、中西部の都市部から西海岸の都市部に至っている。

  こうした輸送網の設計とは別に、この地域は横幅が広いため、ここを通過する人々へのサービスを目的とする施設を、多数建設する必要がある。この地域の町の多くは、鉄道のサービス・管理センターとして始まった。センターは、地域人口の多少にかかわらず、鉄道職員を必要とする場所にはどこにでも作られた。1940年代末に技術革新が始まると、現場で必要となる鉄道職員の数は減ったが、ガソリンスタンドや車の修理工場、モーテル、レストランなどでトラックや自動車で移動する人々にサービスを提供するための労働力の需要は、むしろその人口減少分を上回った。

  都市部発展の初期には輸送サービスが重要な影響を及ぼしたが、大都市といえるようになった町については、通常、ほかにもその成長を支えてきた特質がある。例えば、人口が35万人を超えるワシントン州スポーカンは、同州の「内陸の帝国(Inland Empire)」第一の中心地である。この地域はワシントン州中心部を流れるコロンビア川に半分囲まれた地形が地理的境界線として定められており、昔から農業が盛んだった。人口およそ50万人のニューメキシコ州アルバカーキは、同州の中心に位置し、交通の便もよかったため、スポーカンと同じ役割を果たすようになった。アリゾナ州フェニックスは当初、農業の中心地として発展したが、米国人が暖かく乾燥した環境を求めてここに集まるようになって急速に成長した。現役引退後の人々にとっての中心地になったのに加え、製造業の中心地にもなり、電子機器産業などの、小型で付加価値の高い製品を製造する産業が、フェニックスの発展にとって特に重要な役割を果たしている。

  ユタ州オグデンは、主要鉄道センターとして機能している都市であり、この地域の重要な鉄道センターの中でも、早くから発展した町だった。しかしここは、大都市にはならなかった。ユタ州の州都としての機能を発揮し、モルモン教の総本山としても君臨するソルトレークシティから、北へおよそ55キロメートルしか離れていないことがその要因である。

  観光業:「人の住まない内陸部」の様々な景観は素晴らしい魅力に富んでおり、毎年、何百万人もの観光客を引き寄せている。大きな公園を訪れる人々は最初に、モーテルや軽食堂、土産物店、その他の地方色豊かな店が建ち並ぶ長い華やかな歓楽街を通り抜けなければならない。さらに、それぞれの観光スポットは距離が離れていることが多いため、いたるところでサービス施設が必要になる。ネバダ州の合法なギャンブルも、この地域の観光産業の一部に含めれば、観光業が地域全体に及ぼす影響はさらに大きくなる。

  製材業と牧畜:牧畜と製材業は、その基本材の多くを政府の所有地に頼っている。林野部と土地管理局の所有地は誰でも放牧に利用することができ、「人の住まない内陸部」での製材業は、そのほとんどが林野部の所有地で行われている。牧畜と製材のどちらも、1ヘクタール当たりの生産性は、特に私有地と比べて、相対的に低い。

  この明白な非効率さの一因は、土地があまり良質でないことである。乾燥した地域の多くでは、ウシが十分な草を食べるのに、1頭当たり40ヘクタールが必要となる。この地域の大半では、季節による気候変動が激しいため、米国でも数少ない季節ごとの移動放牧が行われている。移動放牧とは、家畜の群れを、冬は低地へ、夏には山の牧場や牧草地へと、季節ごとに移動させる放牧方法である。特にヒツジの牧畜にとっては重要である。スペインとフランスの国境にあるピレネー山脈で羊飼いをしていた多くのバスク人が、家畜の群れを管理する契約労働者としてこの地にやってきた。今日では、このバスク人の子孫たちが、ネバダ州などいくつかの州で人口の大部分を占めている。

  鉱業:19世紀末には、モルモン教徒のすぐ後に続いて、金の採掘者がこの地域にやってきて定住した。その数はモルモン教徒に次いで2番目に多かった。ネバダ州でカムストック鉱脈が発見されたことから、バージニアシティが生まれた。この町は、1870年ごろの最盛期には人口2万人の都市に成長したが、その後、良質の鉱石の減少とともに、ほぼ消滅してしまった。

  カムストック鉱脈発見直後の数年間に、金・銀鉱採掘がブームとなって、ネバダ州の人口が急増した。ついには1864年、近隣諸州に先駆けて、ネバダ州はアメリカ合衆国への編入が認められた。19世紀末までには鉱物資源の多くが枯渇したため、ネバダ州では広い範囲にわたって人口が減少し、20世紀に入ってかなりの時間が過ぎるまで人口が元の水準に戻ることはなかった。今日、ネバダ州にとっても、西部内陸部のどの地域にとっても、鉱業は経済的にあまり重要ではないが、廃墟となった採鉱所の中には、重要な観光名所となっているものもある。

  この地域の経済に貢献している鉱物資源で今日最も重要なのは、アリゾナ州とユタ州に生産が集中している銅である。ソルトレークシティ近郊のビンガム鉱山の広大な露天掘りの採掘場は、人間が掘った世界最大の穴と言われており、これまで800万トンほどの銅を産出してきた。アリゾナ州にある大小多数の銅採鉱所のうち、最も重要なのは同州の東部のモレンチにある。そのほかにもサンマニュエル、グローブ、ビスビーなど、すべてすべてアリゾナ州南部に重要な鉱山がある。

  「人の住まない内陸部」で採鉱される銅鉱石のほとんどは等級が低く、金属含有量は5%未満である。そのため、ほとんどの鉱山は、近くに溶解または濃縮施設を持ち、出荷物の重量を大幅に軽減することによって、出荷コストを減らしている。このため、金属精製業は、この地域の主要製造業の1つである。

  この地域で銅の次に重要なのは鉛と亜鉛だが、この2つはほかのいくつかの金属とともに、同じ場所から採掘されることが多い。例えば、モンタナ州のビュートヒル鉱山は、長年にわたって銅だけでなく鉛と亜鉛の重要な産地であった。アイダホ州北部のクールダレーヌ地区では金、銀、鉛、亜鉛が産出されており、コロラド州のレッドビル地区では上記4種類の鉱物のほか、鉄鋼製品の製造に使われるモリブデンが生産されている。実際、世界のモリブデン供給量の4分の3ほどがレッドビル地区で産出されている。この地域では、ウランの探査も広く行われており、今日ではユタ州とコロラド州がウランの主要産地となっている。年間の石炭採掘量は、およそ2,500万トンである。

  ユタ州、コロラド州、ワイオミング州にまたがる数千平方キロメートルの地域に、グリーンリバー地層の広大な油頁岩鉱床が広がっている。この油頁岩の中に1兆バーレルもの石油が眠っている。この量は、全世界の総確定埋蔵量よりもはるかに多い。しかし、操業上、環境上の問題があるため、この開発の大部分は概ね保留になっている。

  これらの鉱物資源を基盤として都市が持続的に、または大きく発展したことはほとんどなかった。1990年時点で人口34,000人のモンタナ州ビュートが、この地域で鉱業(銅)を主要経済基盤として発展した最大の町だろう。しかし、ビュートは、農産物加工の中心地としてもまた、長年重要な役割を果たしてきたのである。

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