ハワイ群島は、さまざまな島やさんご礁が長さ3,300キロメートルにわたって、鎖状に連なり、太平洋中部に大きな弧を描いている。群島は東のハワイ諸島から始まり、ほぼ日付変更線のあたりの、大海の中のシミのようなクレ環礁で終わっている。ハワイ州の中でも、さまざまな大きさの島があるのは最東端から650キロメートルの範囲だけであり、人口もほとんどがこの地域に住んでいる。実際に「ハワイ」と見なされているのは、通常この部分である。
ハワイ州では、主要8島(オアフ、ハワイ、マウイ、カウアイ、ラナイ、モロカイ、ニーハウ、カホーラウエ)が面積の99%以上を占めており、ほんの一握りの住民を除くほとんどが、この8つの島に住んでいる。面積8,150平方キロメートルのハワイ島が、同州の総面積の3分の2近くを占めており、しばしば「ビッグアイランド」と呼ばれている。8つの島の中で最小のカホーラウエ島は、面積125平方キロメートルで、人は住んでいない。
ハワイは太平洋の真ん中近くに位置する。州都のホノルルは、カリフォルニア州サンフランシスコから西へ3,850キロメートル、日本の東京から東へ6,500キロメートル、そしてオーストラリアの沿岸部から北東へ約7,300キロメートルの距離にある。この位置関係をみると、ハワイは極めて孤立した状況にあるように思えるかもしれない。確かに、数世紀前だったら、その見方はおそらく正しかっただろう。しかし、環太平洋諸国間が互いに関係を深め、太平洋の資源を利用し始めるにつれて、これらの島々は交流の重要な中心となった。
ハワイ列島は、一連の巨大な火山群の中の、目に見える一部に過ぎない。この海域は深さ4,000~5,000メートルある。従って、火山が海上に顔を出すには、少なくとも5キロメートル近い高さが必要になる。
これらの島々を作り、今日も続いている火山活動の大半は、噴出物を遠くまで飛ばす爆発性のものではない。だが、爆発性の噴火から生まれた火山円錐丘も、実際にはハワイ諸島に存在する。その最大のものは、ホノルルの観光名所であるダイヤモンドヘッドで、高さはおよそ240メートルである。しかし、もっと一般的なのは、流出した溶岩が何層にも蓄積して形成された地形である。こうして形成された火山は、通常、ドームのような形をしており、険しい断崖ではなく、起伏した斜面が主な特徴である。
ハワイ島、別名「ビッグアイランド」には、いくつかの活火山が残っている。マウナロア山は平均して4年に1度、溶岩を噴出していて、その火山活動は、この島最大の町ヒロに、常に脅威を与えている。1950年の噴火の影響は、広さ100平方キロメートルに及んだ。もう1つのキラウエア火山も、常に活動を続けているが、実際に溶岩が噴出するのは7年に1回程度である。1960年の噴火では、キラウエア火山からの溶岩が10平方キロメートルにわたって流れ、島の面積が260ヘクタールほど増加した。
ハワイは険しい斜面が多い州で、標高も急激に変化する。これは海流によって火山の表面が浸食された結果である。波による海食崖は、島々のあちこちで迫力満点にそそり立っている。モロカイ島の北東部にある海食崖は海抜1,150メートルに及び、世界有数の高さを誇る。カウアイ島にある崖も600メートルを超える。「ビッグアイランド」の北東部を流れる小川の中には、海食崖の上から直接海に落ちているものもある。
河川による浸食作用で、溶岩層の表面はひどくえぐられている。火山ドームの多くは、渓谷で縞模様になっている。カウアイ島のワイメアキャニオンの底は、周りの土地よりも800メートル以上低くなっている。高さ数百メートルの滝も、ハワイ諸島ではよく見られる。オアフ島の「パリ」地区に崖が連なっていて、島の東西の正反対方向から土地を浸食しながら流れてくる源流が、ここで合流する。東に向かって流れてきた川は、川を隔てる尾根を浸食して広大な低地を切り開いている。一方、西に向かう渓谷はもっと深く、流れは尾根によって隔てられたままである。
こうした激しい浸食作用の一つの重要な結果として、ハワイ諸島では平坦な土地が限られている。カウアイ島は特に地形が険しく、低地は沿岸部の縁にわずかしか形成されていない。マウイ島には、島の両端の山の多い部分を隔てる、狭いが平坦な場所が中心部にある。モロカイ島の西側はある程度平坦である。オアフ島には中央部に広い谷間があり、沿岸部にもかなり広い低地がある。ハワイ島には、沿岸部に溶岩でできた平地がわずかにあるだけである。
周囲が海というハワイの立地条件は、明らかに気候に大きな影響を及ぼしている。ハワイ諸島の山々に吹き付ける風に水分を与える海である。さらに海は、気温の極端な変動を抑える働きをする。ホノルルの過去の最高気温は31℃で、最低気温は最高気温に似合った13℃である。
ホノルルの緯度は北緯20度で、カルカッタやメキシコシティと同じである。そのため、日照時間や太陽光線の入射角は、季節ごとの変化がほとんどない。この要因に加え、海洋に位置していることから、気温の季節変動もほとんどない。
ハワイ諸島で季節の大きな移り変わりを感じさせるのは、降水量の変化である。夏の間、ハワイは常に北東の貿易風の影響を受けている。この貿易風は、北東側を流れる寒流の上を通ってハワイに近づく。その結果、そよ風が吹き、雲はあるがよく晴れて、暖かいが暑くはないという、ハワイ特有の天気になる。冬期にはこの貿易風が、時には数週間も吹かなくなる。このため、北と北西から嵐が「侵入」してくる。ホノルルでは24時間に430ミリメートルもの雨が降ったことがある。ハワイの気象台は1時間に280ミリメートル、1日に1,000ミリメートルの降水量を記録したこともあるが、どちらも世界記録に近い数字である。
ハワイ諸島の地形は、場所により極端に異なる降水量をうみだしている。カウアイ島のワイアレアレ山では年間降水量が12,340ミリメートルに達し、世界でも降水量が多い場所の1つに数えられているが、同じくカウアイ島のワイメアでは年間降水量が約500ミリメートルである。しかも、この2つの場所は25キロメートルしか離れていない。ホノルルの大都市圏内では、年間降水量が500ミリメートル未満の半乾燥気候にあるビーチの近くに住むことも、年間3,000ミリメートルも雨が降る熱帯雨林の端にある「パリ」地区近くの内陸部に住むこともできる。太平洋北西地域と異なり、ハワイの山岳地帯で最も降水量が多いのは、通常、標高600~1,200メートルのかなり低い場所である。
火山性土壌の多くは透過性に優れているため、水は急速に浸透し、多くの植物に吸収される前に排出されてしまう。従って、降水量が中程度か、それより少ない地域の多くは乾燥地帯のような様相を呈している。
ハワイ諸島が孤立していることと、気候が概して温暖で、自然環境が変化に富んでいることから、実にさまざまな種類の植物や鳥類が生息している。ハワイ原産で、野生ではほかで見られない植物は数千種類ある。ハワイだけに生息する陸生の鳥も66種類確認されている。興味深いことに、人間がハワイに来るまで、ここには陸生の哺乳動物はいなかった。
ポリネシア人によるハワイへの移住は、人類が最も大胆に海洋航海を行った時代の一こまである。彼等は何度も繰り返し、屋根がないカヌーで、小さな群島を隔てる大海原を航海する旅に出た。例えば、1,000年前にハワイへやってきた移住者たちは、ハワイから南西4,000キロメートルのマルケサス諸島からやってきたものと思われる。島にはポリネシア人がやってくる前の先住民がいたが、おそらくは新参者ポリネシア人によって吸収されてしまったのだろう。次に大量のポリネシア移民がやってきたのは500~600年前のことだった。
このような航海には大変な努力が必要だった。その負担が重くなりすぎたのは明らかだった。そのため、2度目の移民時期の後、ハワイは数百年にわたり、孤立した時代を過ごすことになる。この孤立した時期にハワイの人々は、絶海の楽園で複雑な社会組織を確立した。世襲の統治者が住民に対する絶対的な支配権を持ち、すべての土地を所有するという体制だった。ヨーロッパ人がハワイ諸島を発見する18世紀末までに、環境が快適だったせいで、ハワイの人口はおよそ30万人に増えていた。
ハワイに最初に訪れたヨーロッパ人は、1778年のジェームズ・クック船長で、ここをサンドイッチ諸島と呼んだ。クック船長は「ビッグアイランド」の海岸で殺害されたが、彼がハワイを発見したというニュースはヨーロッパと北米に届いた後、急速に広がった。この島々が北米とアジアの間の貿易を促す中継地点として最適の場所にあることが、たちまちのうちに、認識されたのである。
1820年代に捕鯨業は北太平洋に移った。その後50年間、ハワイは捕鯨船員の主要な休息・補給拠点になった。ほぼ同時期に、プロテスタントの宣教師たちがハワイにやってきた。多くの捕鯨船員と同様、宣教師たちは米国北東部の出身だった。彼等は伝道活動に大成功を収め、数十年の間、ハワイの住民に大きな影響を与えた。
ハワイに最初のサトウキビ農園ができたのは1837年だったが、有力なサトウキビ生産地になったのは19世紀半ばを過ぎてからだった。19世紀半ばから末までの間に、ハワイはサトウキビでは、世界でも主要な輸出地域の1つになった。
サトウキビ産業の発展によって、農業労働者が必要になった。ハワイ先住民が一時期使われたが、その数が減少したため、必要な労働力を賄うにはまったく足りなかった。そこで、1852年から1930年までの間に、大規模農場の所有者たちは40万人の農業労働者をハワイに連れてきた。その多くはアジア人だった。1852年にはハワイ先住民は全人口の95%以上を占めていた。しかし1900年には、総人口15万人強のうち、先住民は15%弱となった。その一方で東洋人が75%近くを占めるようになった。
1930年以降は、米国本土がハワイ新住民の主要な供給源となった。1910年には、ハワイのヨーロッパ系住民(ハワイでは「白人(Caucasian)」と呼ばれている)はほぼ5人に1人だったが、今では40%近くが白人もしくは白人との混血である。
ハワイの人口は、ヨーロッパ人の移民が始まる前がピークで、その後減少して、1876年には54,000人まで減り、そこから再び増加に転じた。1920年代初めまでにハワイ諸島の人口は、ヨーロッパ人がやってくる以前の水準に戻り、1988年には110万人になった。外からの移民によって、ハワイの人口の年間成長率は、全米平均を大きく上回っている。
ヨーロッパから移民がやってくる以前、ハワイの人口は各島に分散していたが、最も人数が多かったのは「ビッグアイランド」だった。しかし、ヨーロッパ人がハワイを発見して以来、人口は次第にオアフ島に集中するようになった。良港を持つホノルルが主要な港湾都市となった。
ハワイの政治史をみると、クック船長による発見後120年間は、激動の時代だった。1785年から1795年までの間、強力なカメハメハ王によって、さまざまな王国が滅ぼされた。宣教師の影響が強まるにつれて、ハワイ人統治者の権威が次第に失われ、19世紀には、その結果生じた政治的空白に乗じて、ヨーロッパの政治勢力がこぞってハワイに進出してきた。
しかし、米国人の役割が高まり、ハワイが政治的独立を失った場合には、米国に併合されるという状況が避けられなくなった。米国人の農場経営者の数が増え、影響力が増すにつれて、ハワイ政府に対する彼等の不満が高まった。1887年、農場主たちは、自分たちの支配下にある公選政府を君主に受け入れさせた。1893年、君主制は完全に打倒され、新たな革命政府は、米国による併合を直ちに要請した。最初は拒絶されたが、最終的には1898年に準州として併合を認められた。
併合された時点では、最終的にハワイを州と認めることについては何も取り決められていなかった。ハワイが米国の50番目の州になったのは、アラスカが米国への編入を認められた後の、1959年のことだった。
ハワイ全土のおよそ半分は政府所有である。そのうち80%が、連邦政府ではなく州政府の支配下にある。そのほとんどの土地は農業にあまり適しておらず、大半は森林保護区や保護管理地区の中にある。連邦政府所有の土地は、主として「ビッグアイランド」とマウイ島の国立公園内にあるか、もしくはオアフ島とカホーラウエ島の軍所有地である。
ハワイの全私有地のうち8分の7を所有しているのはわずか39人で、それぞれが2,000ヘクタール以上を所有している。そのうち6人は、州の総面積約104万ヘクタールのうち、それぞれ4万ヘクタール以上を所有している。1区画の規模が小さい私有地はオアフ島に最も多いが、ここでも大地主たちが全私有地の3分の2以上を所有している。ラナイ島とニーハウ島では、それぞれほぼ全域を1人の地主が所有している。そして、オアフ島を除くその他の島はすべて、大地主たちが全私有地の約90%を所有している。
こした大規模な土地所有の大半は、ハワイ諸島で野放図な搾取が行われた19世紀に起きた。それ以前は、君主がすべての土地を所有していた。君主制が政治的に衰退していくと、この土地はハワイ人以外の民間所有者の手に渡っていった。初期の頃の所有者が死亡すると、ほとんどの土地は子孫が直接相続するのではなく、信託管理に付された。このため、所有形態を変えて土地を分割することが難しくなった。その結果、土地価格が高騰し、狭い地区に人口が集中することになった。
1860年代以降、何十年もハワイ経済を牽引したのはサトウキビで、その後はパイナップルだった。1940年代末まで、経済の中心は農業だった。ここ数十年は、農業収入も多少増加は続けているが、相対的な重要度は下がっている。現在ハワイで農業に従事している労働者は、30人に1人である。
しかしハワイのサトウキビは、今でも全世界の収穫量のかなり大きな部分を占めている。パイナップルの生産量は年間およそ65万トンで、世界最大の供給地となっている。
経済統計全体を見ると、オアフ島にハワイ経済の80%以上が集中しており、圧倒的に重要な地位にあることがわかる。その他の島では、今でも農業の役割が大きい。ラナイ島とモロカイ島では、雇用と収入の多くをパイナップルに依存している。牧畜とサトウキビが「ビッグアイランド」ことハワイ島の経済の根幹を成しており、マウイ島とカウアイ島ではサトウキビとパイナップルが経済の中心である。
農業の重要度が低下して、ハワイ経済における支配的な地位を失うと、真っ先にその地位を襲ったのは連邦政府だった。過去数十年にわたり、ハワイに対する政府歳出額は経済全体の成長率にほぼ匹敵する割合で増加し、歳出全体のおよそ3分の1を維持してきた。そのほとんどは、太平洋有数の良質の自然港である真珠湾周辺の土地を含むオアフ島の25%近くの土地を所有する米軍からのものである。ハワイの労働者の4人に1人近くが軍に雇用されており、軍の職員とその家族がハワイ人口の10%以上を占める。軍隊は、ハワイで最も多くの文民の雇用者でもある。
毎年450万人以上の観光客がハワイを訪れており、観光業も主な産業の1つとなっている。観光は最も成長著しい経済部門で、ハワイの総収入に占める比率は1950年の4%から今では30%以上に増加している。
ハワイ諸島の主要な島々は、同じハワイ州の一部であり、地質学上の成り立ちも似ているし、広大な海洋の中では近接した位置にあるが、それでもやはり、それぞれの特徴がある。オアフ島は人口密度が高く、土地の利用度も高い。そして米国の都市部に共通する喧騒や混雑の風景を見ることができる。これと比べて、「ビッグアイランド」ことハワイ島は比較的ゆったりとした空間と広がりを感じさせる。大きな牧場や高くそびえる荒涼とした火山、ほとんど樹木のない広大な土地がある。陸地部分は5つの巨大な楯状火山に占められている。砂糖、牧畜、観光業が主要産業である。
熱帯植物が生い茂っていることから「ガーデンアイランド」とも呼ばれるカウアイ島は、激しい浸食によって作られた山、渓谷、断崖、滝などの見事な景観に恵まれている。この迫力ある自然環境によって、観光客の間で人気がますます高まっている。近くのニーハウ島は私有地であり、ニーハウ・ランチ・カンパニーとして運営されている。そこに住む数百人の住民は、ほとんどがハワイ原住民である。
ハワイ諸島で2番目に大きいマウイ島は、中央部の低地にある大規模農場と、その両側の険しい山々が、対照的な景観を見せている。西側の沿岸部を中心に観光開発が精力的に進められてきたため、1970年代から1980年代にかけてマウイ島は、ハワイ諸島の中で最も人口増加率が高かった。しかし、マウイ島の西側以外の地域はあまり変わっておらず、人口もまばらである。
モロカイ島の半分は牧場で、残りの半分は険しい山岳地帯である。北部の沿岸地帯には、高さ1,100メートルに及ぶ壮観な海食崖がそびえているが、南岸部には広大な海岸平野が広がっている。ハワイ諸島の中の、人が居住する島のなかでは、最も経済発展が遅れた島と言えよう。
ラナイ島とカホーラウエ島はどちらも、背がはるかに高いマウイ島の風下にある。そのため、どちらの島も乾燥している。恒常的な河川は、どちらにもない。パイナップルの生産がラナイ島で唯一の重要な経済活動である。米海軍がカホーラウエ島を管理しており、軍事演習に使っている。



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